老子小話 VOL 1256(2024.12.21)

處富貴之地、要知貧賤的痛癢。

當少壯之時、須念衰老的辛酸。

(菜根譚)

 

富貴の地に処しては、貧賤の痛癢を知らんことを要す。

少壮の時に当たりては、須らく衰老の辛酸を念うべし。

 

今回の言葉は、ひさびさの菜根譚よりお届けします。

痛癢(つうよう)というのは、苦痛のことです。

「富貴の地位にいる時は、貧賤の地位にいる人々の苦痛に思いやる必要がある。

若くて元気のよい時には、年老い衰えた後のつらさを思いやるべきである。」

道徳めいた言葉ですが、その裏にはタオの真理が隠されています。

老子第二十三章に、暴風は半日と続かず、豪雨も一日中は続かないという言葉があります。

自然現象が示すように、エネルギーが一箇所にずうっと留まることはないという真理です。

今現在富や若さというエネルギーを手にしている者も、いずれ老いていき、それらを失っていく。

自然界ではエネルギーは流れていき、万物が平等にその恩恵にあずかることができる。

食物連鎖はその良い例です。

菜根譚は、タオの真理に基づき、今手にしているエネルギーを他の人々のために活用せよと言っているようです。

言葉の上では、エネルギーを手中にしている者は、エネルギーを持たざる者を思いやるべきに留まっています。

しかしその先の意図を感じ取るのが、タオの立場です。

日本では、所得1億円以上の富裕層は、所得が増せば税率はますます低下するという不思議な制度になっています。

富裕層の余ったエネルギーは下位の階級の困窮を軽減するという方向には使われていない。

電車のシルバーシートも、若者がスマホでゲームをやっている席に変っている。

前に老人が立っていても見てみぬ振りをしている。

また一方では、高校生が、核廃絶運動の担い手として高齢化した被爆者の思いを引き継いでいる。

若さというエネルギーを核廃絶という行動につないでいます。

結局、エネルギーをいくら持っていても、その使い方を間違うと宝の持ち腐れです。

エネルギーを持たざる者のかすかな声に耳をすますのが原点になります。

ここでも、老子第二十三章の「希言は自然なり」が響きます。

 

有無相生

 

 

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