◆老子小話 VOL
1255(2024.12.14)
知不知上。不知知病。
夫唯病病、是以不病。
聖人不病、以其病病。
是以不病。
(老子、第七十一章)
知りて知らずとするは上なり。知らずして知るとするは病なり。
聖人は病あらざるは、その病を病とするを以ってなり。
ここを以って病あらず。
それ唯だ病を病とす、ここを以って病あらず。
今回の言葉は、老子よりお届けします。
第71章全部を選びました。
蜂屋先生のご指摘どおり、「夫唯病病、是以不病。」は最後に来るべきように思われます。
従って、訳も以下のようになります。
「知っていても知らないとするのは最上である。
知らないのに知っているとするのは欠点である。
聖人に欠点がないのは、欠点を欠点として認めるからである。
そもそも欠点を欠点とするから、欠点がなくなる。」
どの分野の達人に聞いても、道の奥義には限りがないという。
その道を知り尽くしていると周りには思われていても、目の前に次々と神秘が現れてくる。
だから、まだ知らないことだらけというほか無い。
そんな達人の姿勢を最上といっています。
その反対に、ちょっと聞きかじった程度でわかったということほど愚かなことはない。
病は欠点と訳しますが、各行で意味合いが異なってきます。
「不知知病」の病は、凡人の知ったかぶりの病気に近い欠点です。
「聖人不病、以其病病」の病は、道に到達できていないという欠点です。
道に到達できていないことを常に認識しているのが聖人ということになる。
この姿勢はもはや欠点ではない。
ここで、病をほんとうの病気と考えても、老子の言葉は成り立つかもしれないと思い至りました。
一生付き合わなければいけない病気にかかったとします。
最初は、何とか病気から逃れようとする。
しかし次第に病気が自分に教えてくれる意味に気付くようになる。
そして意味は次から次への深い意味に変わっていく。
そうなると病気を病気として付き合えるようになる。
それは、病気がもはや逃れようとする対象ではなくなることを意味しています。
生きているといろいろわからないことが出てきます。
経験を積み重ねると、わからないことが少しずつわかるようになる。
そしてなぜわからなかったのかという理由もわかってくる。
でも、わかったとしても早とちりをするなと老子の言葉は教えます。
道の神秘は奥が深いと聖人は知っているので、軽々しい早とちりはしないわけです。
有無相生