◆老子小話 VOL
1251(2024.11.16配信)
聖人不積。
既以爲人、己愈有。
既以與人、己愈多。
(老子、第八十一章)
聖人は積まず。
既(ことごと)く以って人の為にして、己愈々(いよいよ)有し、
既く以って人に与えて、己愈々多し。
今回は、老子最終章の言葉をお届けします。
いつもは「信言は美ならず、美言は信ならず」の方を取り上げますが、今回は後半の言葉です。
「積む」というのは、溜め込むという意味です。
タオの場合、聖人は自然の道に従う人を表し、儒学のように徳を積んだ人ではありません。
「聖人はものを溜め込んだりはしない。
何もかも他人のために動きながら、自分はますます持つことになる。
何もかも他人に与えながら、自分はますます豊かになる。」
利他を何気なく行っているのが、自然の道です。
生き物が生きていくためには、自然が与える、空気と水と光が必要です。
草木はこの3つで養分を蓄え、草食動物は草木を食べ、肉食動物は草食動物を食べて、生命を保っています。
しかも、どの命も利他のために役立っている。
空気も水も光も当たり前のように存在しているが、みな自然の賜物です。
こういう自然の働きにならえば、生きるための富をひとりが溜め込むことは許されないはず。
聖人はただ自然の働きにならっているだけです。
アメリカは、所得分布で上位1%にあたる超富裕層が、全体の60%を占める中間層を上回る富を保有しているという、格差社会です。
富が一握りの超富裕層に集中する傾向がさらに高まっている状況で、日本でも格差社会は進行中です。
富裕層の一人であるトランプ氏が大統領に当選したのは、国の未来は富裕層に頼るしかないというあきらめの結果なのかもしれません。
資本主義の未来が超格差社会だとすると暗澹たる思いがします。
老子の利他の勧めは、結果的に自分に恩恵が帰ってくると言っているようです。
しかし、帰ってくる恩恵のために利他をするのとは違います。
帰ってくるのは、施した富とは違うものです。
帰ってくるのは、感謝であり、信頼であり、心のつながりです。
動物と異なり、人間には、他人との心のつながりで得られる生きるエネルギーという富があります。
従って、他人に投資した額より多くの金額が得られるというのとは全く異なります。
富を施して、富では買えない生きるエネルギーを手にするわけです。
空気と水と光を施す自然の立場になって世界を見渡すと、それぞれの生き物が与えられたものを最大限に活かしながら生命を維持し、結果的に利他のために自らの命を差し出す姿が見て取れます。そこには自分だけが獲物を、さらには自分の身体を独占する姿勢はない。
自然の道は、冷酷のようでありながら、すべてがつながりの中で恩恵を施しあっている暖かな道でもあります。
老子の言葉から、こんなことを考えてみました。
有無相生