老子小話 VOL 1240(2024.08.31配信)

故貴之或不生、賤之或不死、
愛之亦不厚、軽之或不薄。
此似反也、非反也。
此自生自死、自厚自薄。
(列子、力命第六)

 

故に貴べども生きざるあり、賤しめども死せざるあり。

愛すれども厚からざるあり、軽んずれども薄からざるあり。

此れ反するに似て、反するにあらず。

此れ自ずから生き自ずから死し、自ずから厚くし自ずから薄くするなり。

 

今回の言葉は「列子」よりお届けします。

この言葉の前に、

「人間の生命というのは大切にしたからといって、長生きできるわけではない。

かといって、粗末にしても早死にするわけでもない。

肉体も大事にしても健康になるわけでもなく、軽んじていても弱くなるわけでもない。」

という前置きがあります。

だから、命を大切にしても生きられないし、粗末にしても死ねないこともある。

自愛していても健康にならず、身体を軽んじても健康でいる場合もある。

こういうことは道理に反しているようだが、反してはいない。

長生きも自然だし、早死にも自然。

健康も自然なら、弱いのも自然。

人智を超えたところの自然のなせる業にあらがうことはできない。

タバコを吸っていても肺がんにならない人もいる。

がん検診を毎年受けていてもがんにかかる人もいる。

結局身体の作りは個人個人違うので、病気への耐性も違ってくる。

新型コロナが蔓延していたころはそれが顕著でした。

ある人は熱も出ず軽症だったのに、別の人は重症化してしまう。

同じ菌が体内に入っても、身体の反応は千差万別。

そのときの身体が疲れていたり、精神的なストレスで、免疫力が左右される。

もちろん病気にかかれば最新医学で治療が受けられるが、治療の効果は個人によって異なります。

同じ治療を受けたのに、ある人は完治し、別の人は再発する。

最終的には、自分の命は自然が決めている。

先週の芥川の言葉は運でしたが、今週も自然が決めている運となるようです。

「人間万事塞翁が馬」という言葉がありますが、運はころころ変わります。

運にこだわっていても始まりません。

 

有無相生

 

 

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