老子小話 VOL 1234(2024.07.20配信)

今子有五石之瓠。
何不慮以為大樽而浮乎江湖、而憂其瓠落無所容。
則夫子猶有蓬之心也夫。
(荘子、逍遥遊篇第一)
 
今、子に五石の瓢(ひさご)あり。
何ぞ以て大樽と為して江湖に浮かぶことを慮(かんが)えずして、其の瓠落(かくらく)として容るる所なきを憂うるや。
則ち夫子には猶お蓬の心あるかなと。

 

今回の言葉は、荘子からお届けします。

荘子の最初の篇が逍遥遊篇です。

スケールの小さい人間から見れば、スケールの大きなものは無用に見えてしまうというお話です。

五石の瓢とは、大きなひょうたん(瓢箪)のことです。

今時、ひょうたんといっても何のことやらと思う方も多いと思います。

時代劇にはよく出てきて、水を入れたり酒を入れたりする器です。

上の言葉に前に、大きなひょうたんを育ててみたものの、水を入れれば重たすぎて持てない。

割いてひしゃくを作ったが、平たすぎてすくえない。

スケールの大きなひょうたんは無用だと、恵子(けいし)がぼやきの言葉を荘子に言います。

上の言葉はそれに対する荘子の応えです。

「今あなたに大きなひょうたんがあるなら、それを割って大だるを作って大川や海に浮かべればいいじゃないですか。

それなのに、平たすぎで何も入らないと悩むのはどうしたことですか。

まったくあなたはヨモギの心をお持ちですな。」と。

ヨモギの心とは、スケールの小さな心、大きな視点から物事を見れない心のこと。

大学紛争が活発だった高校時代にこの言葉に出会い、ハッとした記憶があります。

荘子には無用の長物の例が沢山出てきますが、その無用さは、今の矮小なあるいは短期の視点で無用といえるだけ。

最短距離の道を進むだけが有用ではない。

回り道が後々生きるヒントを与えてくれる。

無駄を省き、経済成長が当たり前だった時代に、荘子の言葉は光って見えました。

そして停滞の時代の今、地球規模で環境を捉え、宇宙規模で人類の存続を考える視点が重要になってきました。

荘子の言葉は今なお光っています。

 

有無相生

 

 

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