◆老子小話 VOL
1231(2024.06.29配信)
蛆虫の棲む水釜があり、罪を犯した人はその中で煮られる。
出ようにも、つかむべき縁がない。
その釜の上部は内側に湾曲していて、まわりが全部一様だからである。
(ブッダのことば)
今回の言葉は、ブッダのお言葉をお届けします。
仏教における地獄のイメージは、創始者であるブッダが既に抱いていたことがわかります。
ブッダが考えている罪は、口の災いです。
人は生まれたときに口の中に斧が生えているという。
人の悪口を言うたびに自らを切り裂く。
うそをつく人も地獄に堕ちる。
善人を非難する人も地獄に堕ちる。
罪のすべてが口から出ている。
なぜなら、言葉を通じて人とコミュニケーションしているので、罪は言葉から生まれる。
地獄絵は子供のころから目にしてきましたが、仏教における地獄のイメージはどこからくるのか不思議でした。
仏教は煩悩から自らを解放するため、修行を積むものだと思っていたからです。
しかし、ブッダが既に地獄を上の言葉通り具体的にイメージしていたことがわかりました。
蛆虫に身体を食われながら、釜ゆでになる罰を地獄で受ける。
しかも、逃げるための取っ手もない。
まさに地獄絵に描けそうな場面です。
確かに六道輪廻のなかに地獄道がありますが、ブッダがそこまでイメージしていたのかわかりませんでした。
「ブッダのことば」に、来世において地獄に堕ちると書いてあるので、現世の業は来世において償われるようです。
タオの立場からすると、来世はなく、死ねば大地に帰り元素に分解され、生物や無生物に取り込まれるだけです。
やはり、現世をどう生きるかに焦点が当てられます。
よく考えると、現世においても、地獄はあちらこちらに見かけます。
戦争が絶えないウクライナやパレスチナ、飢餓に苦しむアフリカなど。
自分が罪を犯さなくても、地獄と向き合う人間は大勢いる。
かろうじて地獄の外にいる人間は、そのような地獄を解消するために、何かしらの努力をすべきだと思います。
明日の地獄はわが身に降りかかるかもしれません。
有無相生