老子小話 VOL 1229(2024.06.15配信)

故失道而後徳。
失徳而後仁。
失仁而後義。
失義而後礼。
(老子、第三十八章) 
 
故に道を失いて而して後に徳あり。
徳を失いて而して後に仁あり。
仁を失いて而して後に義あり。
義を失いて而して後に礼あり。

 

今回の言葉は、老子よりお届けします。

儒家が説く仁・義・礼は、いずれも徳が失われてからその重要性が叫ばれる。

しかし徳が失われるのは、道が失われているからだと老子は言う。

「徳を持っている人間は、そもそも徳ということを意識しないので、徳を体現できる。

徳がない人間に限って、善い人間になろうとする。

善いことをしようとして、仁(思いやり)が説かれる。

仁がなくなるから、正義が叫ばれる。

正義が行われないので、礼(仁を行動にあらわすこと)が叫ばれる。」

儒家が求める仁・義・礼は、徳が失われているために出てくる概念に過ぎません。

徳のおおもとは、道にあると老子は主張します。

政治資金規正法改正で紛糾した自民党の醜態は、礼も義も失われた状況ともいえます。

政治に金がかかるということを言い訳にして、その資金源を企業とのパイプから得ようとする性格を自ら正さないからです。

政治はなぜ行うのか?

自民党のホームページにいろいろな議員の意見が書いてあります。

税金をどのように配分するかを決めるため、農業を強くするため、ルールを作るため、などいろいろあります。

しかし政治のおおもとは、国民の平和な生活を実現することだと思います。

平和とは、心を安らかに保ち、充実した日々をおくることではないでしょうか。

そのためのルール作りであったり、税金の配分だったり、産業政策だったりするわけです。

政治に金がかかるということはかれこれ50年近く言われ続けていますが、全く手がつけられていません。

むしろ政治家の手腕が、どれだけお金を集められるかという能力にあると見られています。

金権政治という言葉は今なお生きています。

政治家に不足しているのは、国民の生活の実態を知ることです。

実態を知らずして自分勝手なルールを法案にして、数の論理で国会を通過させます。

「政策活動費」という政治資金の領収書の公開を10年後とするのは、自分勝手な論理に基づきます。

なぜなら政治資金は税金から出ているので、10年後の公開では国民がその使用目的を知っても後の祭りです。

従って、政治家に都合が悪いことは法案にはしないことになります。

議員の給与を減額したり、議員数を減員したりして、政治に金がかからないようにする法案など出てくるはずがない。

ここで、政治において、老子がいう道はどういうことなのか考えてみる価値はありそうです。

政治の目的からすると、今もって心を安らかに保てない人々のことを考えることが原点になります。

水のように社会の底辺まで自ら身を置いて、そういう人々の支えとなるような社会の仕組みを実現するのが、政治の道のように思えます。

企業とか富裕層とか、政治献金が期待できる社会の上層に目を奪われていると、いつしか根本の政治の目的すら忘れ、無駄なルール作りに終始することになりかねません。

老子の言葉は、政治家に原点の道にもどることを促しているように思えます。

 

有無相生

 

 

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