老子小話 VOL 1217(2024.03.09配信)

春眠不覚暁
処処聞啼鳥
夜来風雨声
花落知多少
(孟浩然、「春暁」) 

 

春眠暁を覚えず

処処啼鳥を聞く

夜来風雨の声

花落つること知る多少

 

この季節、多量の花粉が飛び交い、くしゃみと眼のかゆみに苦しんでいます。

春といえば、どうしても眠気とだるさを感じます。

冬の寒さから解放され、身体全体が緩んでくるためでしょうか。

今回の言葉は、孟浩然(もうこうねん)からいただきました。

今朝、YouTubeで中国五千年倶楽部さんの「漢詩の時間」で朗読を聞きました。

中国語で聞くと、暁(xiao)、鳥(niao)、少(shao)で韻(ao)を踏んでリズミカルになるのがわかります。

処処は時間と空間の意味があり、あちらこちらという空間の拡がり、時々という時間の拡がりを表すという詳しい説明も聞けました。

「春の眠りは心地よくて知らぬ間に日が昇っていた。

あちらこちらから鳥のさえずりも聞こえてくる。

そういえば昨夜は風雨の音がひどかった。

ああどれほどの花が散ったことであろうか。」

最近も、夜春の嵐が吹き荒れ、風と雨の音を聞きながら寝ていました。

そして朝になると鳥の声で眼が覚め、嵐がやんだことを知ります。

「春暁」と同じ経験をたどれます。

唯一違うのは、庭が狭いので散った花びらはそんなに多くありません。

孟浩然は、唐の詩人ですが、何回も科挙(官吏登用試験)に失敗して、不遇の人生を送りました。

官僚なら春でも朝早く起きて出仕しますが、孟浩然は暇なので、このような詩を書くことができたわけです。

この詩の面白さは、すべて寝床の中で思いをめぐらせている所にあります。

朝眼が覚めてもなかなか起きれず、うとうとしながら周りの景色をいろいろ想像する。

それも、今のことから昨夜のことに思いがめぐり、また今のことに戻っていく。

そして情景は音をきっかけに浮かび、音から色に移っていく。

眼は覚めても頭はまどろんでいて、聴覚から頭に浮かぶ景色を詩にしている。

単純な文言で構成されている詩ですが、時空に拡がる夢幻の世界を心がさまよう様子を巧みに表現していると思います。

花粉症でぼおっとした頭でこの詩に接すると、孟浩然さんの思いがより理解できるようです。

 

有無相生

 

 

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