老子小話 VOL 1215(2024.02.24配信)

子曰、飯疏食飲水、曲肱而枕之。
楽亦在其中矣。
不義而富且貴、於我如浮雲。
(論語、述而第七) 

 

子曰く、疏飯(そし)を食らい、水を飲み、肱を曲げてこれを枕とす。

楽しみまたその中にあり。

不義にして富み且つ貴きは、我に於いて浮雲の如し。

 

今回の言葉は、論語よりいただきました。

疏飯は、粗末な飯のこと。

「先生は言った。粗末な飯を食べ、水を飲み、腕を曲げてそれを枕にする。

楽しみはそのなかにある。

不正をして金持ちになり、高い地位にあるのは、自分にとってはかないものだ。」

つつましい生活のなかに喜びがある。

孔子は、物質的な豊かさのなかに喜びを見いださなかった。

あくまでも精神的な豊かさを追求した。

精神的な豊かさとは、道徳的に正しい実践を重ね、芸術的な感性を身につけることだという。

論語は、「学而時習之、不亦説乎」で始まり、学んでおさらいをするのは楽しいと説きます。

そのためには、衣食住において、つつましさが求められる。

論語では、孔子は人間関係のなかで精神的な豊かさを高めようとする。

一方、老子は、自然が導く道において、人生で何が大切なのかを追求していく。

ともに精神的な豊かさを求めていく姿勢は同じですが、眼は人間社会に向くか、大自然に向くかの違いはあります。

老子が孔子と違うところは、たとえ不正をしなくても、富を得、高い地位につけば、人間は絶えず不安に悩まされるという。

富が奪われることを恐れ、地位を奪われることを恐れる気持ちを抱くようになる。

それにより、周りの人間が富や地位を掠め取る、泥棒や反逆者に見えてくる。

これは、独裁者が対抗する人間を抹殺する行為に現れます。

最近の事件で言えば、ナワリヌイ氏の突然死に見ることができる。

プーチンは、大統領選挙における見せしめとして、対抗者ナワリヌイ氏の死を選挙民にアピールしたといえます。

孔子はあくまでも、不正により富や地位を得るのは道徳的に誤っていることを指摘します。

言葉を返せば、不正でなければ富や地位を得てもそれを受け入れる。

反対に老子は、欲望に勝てないという人間の弱さに気付いている。

プーチンも最初は臆病な工作員だったが、権力を操る心地よさから次第に独裁者を志向していった。

論語の言葉を味わいながら、孔子と老子の考えの違いをつらつら考えてみました。

 

有無相生

 

 

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