老子小話 VOL 1211(2024.01.27配信)

貧者士之常也、死者人之終也。
処常得終、当何憂哉。
(列子、天瑞第一) 

 

貧は士の常なり、死は人の終わりなり。

常に処(お)りて終わりを得たり、当(まさ)に何をか憂うべきや。

 

今回の言葉は、「列子」よりいただきました。

栄啓期と孔子の問答のなかで、栄啓期が語る言葉です。

栄啓期は古代の隠者で長寿で知られる人物です。

孔子は、ぼろ着をきて楽しそうにしている栄啓期さんを見て、何がそんなに楽しいのか問う。

「貧乏はひとの常態であり、死はひとの終末である。

常態のなかで終末を迎えるのだから、どうして心配することがあろう。」

と彼は答える。

裕福であったものが貧窮に陥ればつらいでしょうが、はじめから貧乏ならば慣れてしまう。

貧乏が常態化すれば、貧乏がふつうになってくる。

日本の失われた30年のようなもの。

給与が上がらず貧しかったから、企業も値上げできなかった。

日銀はゼロ金利にして、借金している人々を救ってきた。

一方、死というのは生きている限り避けられないもの。

栄啓期さんは、ひととして生まれ、男として生まれ、長生きできたことで十分と考えています。

貧乏というのは、生きた結果たまたまそうなったことだとします。

だから、貧乏のなかで死んだとしても、何にも心配はいらない。

貧乏と死を受け入れてしまえば、あとは生きていることを楽しむしかない。

ポジティブに生きるとはこういうことだと思われます。

とかくひともうけしようと考えるから、詐欺につかまってしまう。

貧乏に徹すれば、そんなもうけ話は耳に入らなくなる。

生きていることを楽しむには、時間を大事にして、自然の変化に向き合うようになる。

自然の変化は、四季の変化であり、月の変化であり、日々の変化です。

お月様の形も毎日変わっています。

そんな自然のささいな変化に目が向くようになると、生きている実感を確認できるようです。

栄啓期さんの言葉は、生きる力を与えてくれます。

 

有無相生

 

 

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