老子小話 VOL 1205(2023.12.16配信)

方其夢也,不知其夢也。
夢之中又占其夢焉、覚而後知其夢也。
且有大覚而後知此其大夢也
 (荘子、斉物論篇第二) 
 
其の夢みるに方(あた)りては、其の夢なるを知らざるなり。
夢の中に又其の夢を占い、覚めてしかる後に其の夢なるを知る。
且つ大覚有りて、しかる後に此れ其の大夢なるを知るなり。

 

今回は、荘子より夢の言葉をお届けします。

「夢見ている最中は、夢が夢であることに気付かない。

夢の中で夢占いをし、目覚めて始めて夢であったことを知る。

人生も同じで、大いなる覚醒があって始めて、人生が大いなる夢であったことを悟る。」

京都に大覚寺というお寺がありますが、ひょっとすると荘子の言葉から採っているかもしれません。

人生が夢のようだと感じる機会は時々訪れるように思います。

こどもの頃に思い描いていた夢の一部は実現し、空しい夢に終わった部分もあります。

夢をもって目標に向かって進むことは悪いことではありません。

夢がかなった理由、夢が破れた理由を思い返し、次の夢のための反省材料にする。

しかし、夢の中にとどまり続けると、それが現実だと錯覚するおそれがでてきます。

豊臣秀吉の朝鮮出兵などはその一例です。

全国統一を成し遂げたあと、明征服のため、朝鮮を落とそうとしました。

最初は平壌まで進撃しましたが、形勢は悪化し、秀吉の死後撤退を余儀なくされました。

結局秀吉は、死ぬまで夢を見続けたわけです。

そんな大それた夢でなくても、どんな夢でも、覚醒している自分を保つことが大事になります。

覚醒するチャンスは何度か訪れる。

状況が変わったり、周囲から意見が述べられたり、何かがおかしいと自分で気付く場合もある。

そんなとき、夢から一度覚めて、夢を再点検するのがよいと、荘子は教えてくれます。

大きな夢であればあるほど、大きな夢を追う自分を見る、覚めた目を持つもう一人の自分をもつことが大事になる。

大覚は、踏みとどまる勇気を与えてくれる。

夢をコントロールしてくれる力となる。

 

有無相生

 

 

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