老子小話 VOL 1200(2023.11.11配信)

樹はあくまでも共に生きている存在です。
(中略)
街にたたずまう大きな樹が、見上げて樹の下に立ちつくす一人に思い出させるのは、
そうした、この世における、人の在り方の、原初の記憶です。
人はかつて樹だった。
 (長田弘、「なつかしい時間」) 

 

今回で、ちょうど1200号となりました。

ここ数回、ガザ問題にかかわる言葉をお届けしましたが、

今回の言葉は、最近読んだ本、長田弘氏の「なつかしい時間」(岩波新書)から選びました。

それは、その本の小編、「樹が語ること」にありました。

氏は詩人で、「人はかつて樹だった」という詩集まで出されています。

国道一号線(かつての東海道)の松並木を見て私も感じた、「樹が共に生きている存在」という言葉に共感しました。

私は、散歩の帰り道、茅ヶ崎駅付近の松並木の下を歩きます。

先ず思ったのは、この樹はいつからここにいるのだろうという問いでした。

江戸幕府が生まれた頃から計算すると400年くらいになる。

その400年の間に、樹はどのような景色を見ていたのかという問いが浮かびました。

伊勢参りする旅人や飛脚や、参勤交代する大名行列も通ったに違いない。

芭蕉も大石蔵之助も、近藤勇や西郷隆盛も、通ったに違いない。

そんな景色を見て、樹は何を思ったのだろうと馬鹿なことを考えていました。

しかし、東海道の松並木は、近世日本と共に生きてきた存在であることは確かです。

樹の一生から見れば、人の一生はほんのわずかの時間です。

そのなかで自分を生かすことをいつも考える。

景気がどうだとか、業績がどうだとか、どうしても目先のことに目が奪われ、一喜一憂する。

一方、樹はしっかりと大地に根を張り、太陽と雨という自然の恩恵を受けながら、前進と停滞というめりはりをつけて生きている。

めりはりの軌跡は、年輪として樹の内部に刻まれる。

長田氏は、樹を見て思い出すのは、原初の記憶という。

原初の人間は、樹から生き方を学んだ。

樹におのれを見たととも言える。

それが、「人はかつて樹だった」という言葉につながっています。

東海道の松並木を見て、自分が樹になって日本の歴史を回想するのも、いい機会です。

また、自分を樹に見立て、自分の年輪とはどんな記憶で成り立っているのか考えるのも、いい機会です。

楽しい思い出も、苦しいあるいは悲しい思い出も、年輪となって今の自分を支えています。

今回の言葉は、樹の見方を変える言葉でした。

 

有無相生

 

 

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