◆老子小話 VOL
1199(2023.11.04配信)
和大怨必有餘怨。安可以爲善。
是以聖人執左契、而不責於人。
有徳司契、無徳司徹。
天道無親、常與善人。
(老子、第七十九章)
大怨を和すれば必ず余怨あり。
安(いずく)んぞ以って善と為すべけんや。
ここを以って聖人は左契を執りて、而も人を責めず。
徳有るものは契を司り、徳無きものは徹を司る。
天道は親無し、常に善人に与(くみ)す。
今回もまたまた老子の言葉をお届けします。
老子の言葉はパレスチナ問題のためにあるような気がしてきます。
「大きな怨みを無理やり和解させても、必ず怨みはあとまで残る。
それがどうして善いことだと言えようか。
だからこそ道を修めた聖人は、割符の半分をもっていても決して取り立てようとしない。
徳があるものは割符を管理する者であり、徳がない者は無慈悲に取り立てを行う者である。
天の道はえこひいきをしない。いつでも善人の味方だ。」
全体により意味が通じるので、79章全部の言葉をいただきました。
ここで大事なのは割符で、契約を記した木片を2つに割って、左の木片を債権者、右を債務者が持ち、後日契約が履行されたか、その証拠とするものです。
お金の貸付ならば、貸した方が左、借りた方が右をもっている。
契約を盾に無理にでも取り立てを行うのが徳のない者です。
シェイクスピアの「ヴェニスの商人」でいうと、取り立てるのはユダヤの高利貸しのシャイロックです。
彼は借金のかたに、アントーニオの肉を切り取ろうとしますが、血を一滴も出さずに切り取れと言われ立ち往生する。
契約は成立しているので正義は債権者にありますが、徳があれば正義を盾に人を責めないと、老子はいう。
なぜなら、根本問題を無視して表面的に和解しても、怨みは尾を引くのは当然だからです。
パレスチナ問題の根本も、パレスチナの地からパレスチナ人を強制的に追い出し、イスラエルを建国したことにある。
追い出された側から見れば、その怨みはいつまでも残る。
その怨みの結果が、ハマスによる暴虐な襲撃となり噴出した。
その襲撃に対する報復の権利をイスラエルは、割符の形で得ているわけです。
イスラエルはテロ撲滅のための地上作戦を正当化しており、アメリカも賛同しています。
では天の道は何を示しているのでしょうか?
「天道は親無し」、つまり、どちらの味方でもなく、徳のあるほうに味方する。
人間以外の自然界の生物は、与えられた環境の中で、持ちつ持たれつの関係を築いている。
そのような関係を学べば、争いが続くはずがない。
学ぶの語源はまねぶであり、学びはまねることから始まっています。
自然界の生き方をまねることが老子の根本にある。
ある生き物、ある民族が一人勝ちすることなんてない。
パレスチナ人のなかにおのれ自身を見いだす姿勢が、イスラエル人に求められます。
有無相生