老子小話 VOL 1199(2023.11.04配信)

和大怨必有餘怨。安可以爲善。
是以聖人執左契、而不責於人。
有徳司契、無徳司徹。
天道無親、常與善人。
 (老子、第七十九章) 

 

大怨を和すれば必ず余怨あり。

(いずく)んぞ以って善と為すべけんや。

ここを以って聖人は左契を執りて、而も人を責めず。

徳有るものは契を司り、徳無きものは徹を司る。

天道は親無し、常に善人に与(くみ)す。

 

今回もまたまた老子の言葉をお届けします。

老子の言葉はパレスチナ問題のためにあるような気がしてきます。

「大きな怨みを無理やり和解させても、必ず怨みはあとまで残る。

それがどうして善いことだと言えようか。

だからこそ道を修めた聖人は、割符の半分をもっていても決して取り立てようとしない。

徳があるものは割符を管理する者であり、徳がない者は無慈悲に取り立てを行う者である。

天の道はえこひいきをしない。いつでも善人の味方だ。」

全体により意味が通じるので、79章全部の言葉をいただきました。

ここで大事なのは割符で、契約を記した木片を2つに割って、左の木片を債権者、右を債務者が持ち、後日契約が履行されたか、その証拠とするものです。

お金の貸付ならば、貸した方が左、借りた方が右をもっている。

契約を盾に無理にでも取り立てを行うのが徳のない者です。

シェイクスピアの「ヴェニスの商人」でいうと、取り立てるのはユダヤの高利貸しのシャイロックです。

彼は借金のかたに、アントーニオの肉を切り取ろうとしますが、血を一滴も出さずに切り取れと言われ立ち往生する。

契約は成立しているので正義は債権者にありますが、徳があれば正義を盾に人を責めないと、老子はいう。

なぜなら、根本問題を無視して表面的に和解しても、怨みは尾を引くのは当然だからです。

パレスチナ問題の根本も、パレスチナの地からパレスチナ人を強制的に追い出し、イスラエルを建国したことにある。

追い出された側から見れば、その怨みはいつまでも残る。

その怨みの結果が、ハマスによる暴虐な襲撃となり噴出した。

その襲撃に対する報復の権利をイスラエルは、割符の形で得ているわけです。

イスラエルはテロ撲滅のための地上作戦を正当化しており、アメリカも賛同しています。

では天の道は何を示しているのでしょうか?

「天道は親無し」、つまり、どちらの味方でもなく、徳のあるほうに味方する。

人間以外の自然界の生物は、与えられた環境の中で、持ちつ持たれつの関係を築いている。

そのような関係を学べば、争いが続くはずがない。

学ぶの語源はまねぶであり、学びはまねることから始まっています。

自然界の生き方をまねることが老子の根本にある。

ある生き物、ある民族が一人勝ちすることなんてない。

パレスチナ人のなかにおのれ自身を見いだす姿勢が、イスラエル人に求められます。

 

有無相生

 

 

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