老子小話 VOL 1187 (2023.08.12配信)

今小為非、則知而非之。
大為非攻國、則不知非、従而誉之、謂之義。
此可謂知義與不義之辯乎。
(墨子、第十七 非攻篇上) 

 

今、小しく非を為さば、則ち知りて之を非とする。

大いに非を為して國を攻むるれば、則ち非とするを知らず、

従いて之を誉め、之を義と謂う。

此に義と不義との弁を知ると謂う可きか。

 

もうすぐ終戦の日なので、非戦の願いを込めて、墨子の言葉をお届けします。

上の言葉の前に、

「一人を殺せば不義といわれ死罪となる。百人を殺せば、必ず百の死罪となる。

それなのに不義をなして他国を攻めても不義にならずに義といわれる。」

という前置きがある。

このことを黒いものを少し見て黒といっていたのに、黒いものをたくさん見ると白といってしまう話にたとえる。

弁というのは区別のことです。

義と不義の区別を本当に知っているのかと問います。

墨子は紀元前4〜5世紀に生きた中国の思想家ですが、人類は同じ局面を繰り返しています。

日本も戦時中は、義と不義の区別ができませんでした。

国家は、ひと一人殺せない市民に銃を持たせて出兵させ、戦地で殺戮を許しました。

殺人の経験をした兵隊は戦後も心の傷をおって生きていかねばなりません。

ベトナム戦争では、心の傷をおった帰還兵の自殺は相当数に及びます。

国家の論理は、国民の心まで動かすことはできません。

戦時中の忠尽報国は、表面上は、国民に黒を白といわせました。

この様子を、「従いて之を誉め、之を義と謂う。」と、墨子は表現します。

そして、今ロシアはウクライナに対し、計り知れない不義を働いている。

ウクライナは世界の穀倉地帯であり、小麦やとうもろこしは、ヨーロッパ、アフリカのみならず、世界に輸出されている。

ロシアは、世界の食糧供給に多大な打撃を与えています。

不義があまりにも大きすぎると義になってしまう。

プーチンの不義もロシア国民にとっては義になってしまう。

黒いものを見すぎると、黒も白も判別つかなくなる。

墨子の「従いて之を誉め、之を義と謂う。」は、独裁国家においては普遍的な現象のようです。

 

有無相生

 

 

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