老子小話 VOL 1185 (2023.07.29配信)

寒蝉古木を抱き、鳴き尽くして更に頭を廻らさず
(禅語) 

 

今回は禅語をお届けします。

夏の風物詩といえば、蝉の声です。

蝉は短い一生にもかかわらず、暑い盛りの中、死ぬまでひたすら鳴き続けます。

そんな生き方は、人間の生き方のお手本になると思いませんか。

寒蝉というのは、秋の訪れを告げる蝉のことで、ツクツクボウシやヒグラシだそうです。

寒蝉が古木を抱きながら、頭を廻らさずにひたすら鳴きつくす。

禅の修業の観点からも、この姿勢はお手本になります。

この禅語は、禅堂で蝉の声を聞きながら修行しているときに生まれた言葉かもしれません。

古木にとまり必死に鳴いている蝉の姿が頭に浮かび、自分もそうありたいという思いがわいてきた。

徒然草第七段に、人の一生と蝉の一生を比較する、次の文が出てきます。

「命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。かげろふの夕べを待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。」

命のあるものの中で、人間ほど長命なものはない。

かげろうは日暮れを待って死に、夏の蝉は春や秋を知らずに死んでしまう。

兼好法師は、「命長ければ辱多し」と結論を下します。

長生きをすると生き恥をさらすことが増える。

だからこそ、「世は定めなきこそいみじけれ」が大事になるといいます。

この世は予測不能だからこそ意味がある。

ここで禅語にまた帰ります。

予測不能の世の中だからこそ、予測可能な死の直前まで全力で生ききる蝉の生き様は、あらゆることのお手本になるというものです。

こう考えると、蝉の声がどんなにやかましくても、そこにいとしさを感じるようになってきます。

人の一生ですら、古木の一生から見れば、かげろうや蝉の一生と同じようなものになるでしょう。

 

有無相生

 

 

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