◆老子小話 VOL
1173 (2023.05.06配信)
さかなやさんが
さかなを うってるのを
さかなは しらない
にんげんが みんな
さかなを たべてるのを
さかなは しらない
うみの さかなも
かわの さかなも
みんな しらない
(まどみちお、「さかな」)
今回の言葉は、まどみちおさんの詩集からお届けします。
まどさんの詩はこどもの目を持った大人が語るひとりごとのように思います。
海や川を自由に泳いでいたさかなが捕まえられたあと、どういう運命をたどるかさかなは知らない。
あるものは死の直前までいけすで飼われて、新鮮な味をお客さんに届ける。
あるものは魚屋で売られて家庭で調理される。
いずれにしても、その命が別の生き物の生きる糧となる。
幸いなことに、人間の命を生きる糧にする生物はまだあらわれていない。
スリラーでは、ドラキュラが人間の生き血を生きる糧にしているが。
まどさんの詩を読んでいると、自分がさかなだったらとどういう意味かと考えてしまう。
人間はどうしても自分の死後のことを想像する。
そこには天国やら地獄やら浄土やらが浮かんでくる。
死後から現世の生き方を選択する。
一方さかなは自分の死後のことなど全く考えない。
何も考えなくとも、その命は自然と別の生き物の生きる糧になっている。
それが自然の法理というものである。
さかなは死の直前まで水の中を自由に泳ぎまわっている。
自由に泳ぎまわることがさかなの性質であり、生である。
人間もさかなに見習って、死後のことなど気にせず、死の直前まで生を謳歌するのが自然にかなっていると思います。
有無相生