老子小話 VOL 1171 (2023.04.22配信)

我見諸法空相、変即有、不変即無。
三界唯心、萬法唯識。
所以夢幻空花、何労把捉。
(臨済録)

 

我見るに諸法は空相にして、変ずれば即ち有、変ぜざれば即ち無。
三界唯心、萬法唯識なり。

所以に夢幻空花、何ぞ把捉を労せん。

 

今回の言葉は、臨済録からお届けします。

禅宗の僧侶の言葉なので、堅苦しく難しい所もありますが、自分なりに味わってみたいと思います。

岩波文庫の訳を引用すると、

「わしから見ると、すべての存在は空相であって、外的な条件次第で有となり、その条件がなければ無となる。

三界は心の生成であり、一切は識の現成であるからだ。

だから『夢や幻や空花のようなものをわざわざ捉えようとするな』というわけだ。」

「諸法は空相」は般若心経にも出てきて、色即是空につながる言葉です。

自分という存在は、外的な条件がそろってこの世に生まれたのであって、その条件がそろわなければ生まれてこなかった。

その自分が抱える悩みや苦しみもまた、外的な条件次第で生まれたり、消えたりする。

三界は仏教用語で、欲界・色界・無色界をいいます。

欲界は、欲望にとらわれた人間が住む世界。

色界は、欲望を超越したけれど、物質からまだ脱却できない人間が住む世界。

無色界は、欲望や物質から離れた人間が住む世界。

この三界はただ心の働きより生まれ、あらゆる事物・事象は心の認識作用が生み出している。

心の働きは、外的な条件次第でころころと変化する。

そんな実体のないものにとらわれるのはやめようという。

この臨済録の言葉は、人間の生きざまを冷徹に表現している。

生きることは、心を具えることであり、それは当然ながら欲望や悩みを抱えることを意味する。

空しいものにとらわれて生きるよりも、その重みを少しでも軽くして生きるほうがよい。

しかし、重荷を抱えて生きることで救われる人間もまたいるのも現実だと思います。

 

有無相生

 

 

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