老子小話 VOL 1168 (2023.04.01配信)

散る花を 惜しむ心や とどまりて

また来ん春の たねになるべき

(西行法師)

 

桜満開の季節となりました。

桜にちなんで、今回は西行さんの歌をお届けします。

岩波文庫の「山家集」では、「たね」ではなく「誰」となっていました。

ネット検索すると「たね」とするほうが多かったのでそちらを採用しました。

桜の花は散るほうが風情があるのではないでしょうか。

それは桜に自分を重ねるからだと思います。

桜の満開は、自分が元気でいきいきとしていた頃に重なります。

そして、花が散るのは自分の元気が衰える未来に重ねます。

散る花を惜しむ思いは胸にとどまり、来年の春に開く桜の種になる。

来年のことは誰にもわからない。

春は確かに来るであろうが、その春を自分が迎えられるかはわからない。

しかし、散る花を惜しむ思いは、来年も桜咲く春を無事に迎えたいという願いのもとになっている。

この西行さんの気持ちは、今の私たちにも理解できます。

西行さんは、桜の花を咲く頃に亡くなりたいと、

「願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの望月のころ」

という歌を詠み、その通り3月末に73歳で亡くなりました。

西行さんの散る花を惜しむ思いが、「春の種」に結実したような感があります。

桜を見て行く末を思う先人たちの感性を大切にしたいと思います。

 

有無相生

 

 

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