老子小話 VOL 1161 (2023.02.11配信)

行行失故路

任道或能通

覺悟當念還

鳥盡廢良弓

(陶淵明、「飲酒」其十七)

 

行き行きて故路を失いしも

道に任せば或いは能く通ぜん

覺悟して當(まさ)に還るを念うべし

鳥盡くれば良弓廢てらる

 

今回の言葉は、中国の詩人陶淵明の「飲酒」という詩からの抜粋です。

「飲酒」は、序および二十首から構成されています。

第十七番目の詩の後半部分を引いています。

「どんどん歩いているうちに、本来歩むべき道を失ってしまった。

しかし、無為の道に身を任せれば、あるいは打開の方法もあろう。

覚悟して、本来あるべき道に還ることを考えよう。

どんなすぐれた弓も、鳥がいなくなれば捨てられる。」

陶淵明(西暦365年-427年)は、東晋末に生きた詩人です。

先祖代々東晋の官僚であり、8歳のときに父親に死なれ、貧しくなった陶家を支えるため、仕官して出世することを目指した。

29歳で役人になってまもなく、役所の腐敗と不合理を耐えられず、家に帰り農夫となった。

その後も、暮らしに追われると役人をしたことは数回あるが、ついに家に帰ったまま農民の暮らしを続けました。

41歳でまた県長という役人になったが、80日間でやめてしまい、以後は田舎に帰って隠居生活に入った。

そんな彼の境遇を知ると、彼の詩の内容がすこしわかると思います。

「鳥尽くれば良弓すてらる」とは、使う目的がなくなれば、今まで大切にされたものも御用済みとして捨てられることです。

陶淵明が役人時代に眼にしたのは、権力闘争の荒波の中で殺される官僚たちの姿だったかもしれない。

生計を立てるために入った官僚の道が本来の道とは思えないまま、生きるために眼をつぶって何度か歩んだ。

そのうちに道に迷ってしまった。

何か目的をもって動こうとするのではなく、自分の感性を信じておもむくままに歩めば、本来の道に戻れるかもしれない。

そんな覚悟にたどり着いたと陶淵明は語っているようです。

彼の心境は、今に生きる私たちにも共感できるところが多いと思います。

自分はどんな道を歩んできたのか振り返る機会を与えてくると言葉でした。

 

有無相生

 

 

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