老子小話 VOL 1151 (2022.12.03配信)

人生天地之間、若白駒之過郤。

忽然而已。

(荘子、知北遊篇第二十二)

 

人、天地の間に生くるは、白駒(はっく)の郤(げき)を過ぐるが若し。

忽然たるのみ。

 

カタールW杯では、日本はまたもや強敵スペインを撃破し、歴史的大勝利をあげました。

強いチームが勝つのではなく、勝ったチームが強い。

その言葉が証明された試合が多かったようです。

今年も終りに近づき、12月となりました。

年末になると、荘子のこの言葉を思い出します。

郤(げき)は隙のことで、すき間のことです。

「人が天地の間に生を受けるのは、ちょうど白い馬が走り過ぎるのをすき間からのぞき見るようなもの。

あっという間のことである。」

水が天地から湧き出て、やがて天地に吸い込まれて消えていくようなものとも言っています。

すき間から見ているので、何が通ったのかよくわからず、何か白いものが通り過ぎたことがかろうじてわかる。

その姿の詳細を追うことはできず、純粋な魂が一瞬を駆け抜けたことを知るのみである。

人の生も、生きる過程でいろいろな姿に変化していく。

しかし、大切なのは何になったかではなく、どのように変化し人生を駆け抜けたかである。

荘子の言葉によれば、サッカーの試合も生の証しのようです。

白い馬が白いボールに変わっただけです。

白いボールが狭いすき間を通り過ぎていくのがゴールです。

確かにゴールを決めれば試合には勝ちますが、大切なのは、ボールにどのような魂を込めてゴールを狙うかです。

その魂がボールの軌道に変化を与えます。

シュートの一本一本が、すき間を駆け抜けた一瞬です。

それこそが生の証しの一瞬となります。

人の生は、シュート一本一本の積み重ねのように思います。

あるときはゴールを外し、あるときはゴールするときもあります。

その時々で一喜一憂することなく、魂を込めてシュートを打てるかが人生の勝利につながると思います。

 

有無相生

 

 

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