老子小話 VOL 1148 (2022.11.12配信)

子曰、人之過也、各於其党。

観過斯知仁矣。

(論語、里仁第四)

 

子曰く、人の過ちや、各々其の党に於いてす。

過ちを観て斯に仁を知る。

 

今回は、久し振りに「論語」からお届けします。

岸田内閣で大臣の資質を問われる不祥事が続きました。

ひとつは、山際経済再生相の旧統一教会をめぐる発言です。

「記憶にない」といっておきながら、外部の指摘で協会とのゆるぎない関係が明るみになり、辞任に追い込まれました。

もうひとつは、葉梨法相の死刑をめぐる発言です。

「法相は死刑のはんこを押す地味な役職」という、死刑執行の重責の自覚に欠ける発言で、これまた辞任に追い込まれました。

このふたりを任命した岸田首相の任命責任が問われますが、岸田首相は山際氏を、コロナ対策本部長に任命しました。

政治家は「記憶にない」といって責任逃れをするのが常套手段というものの、うそが明るみになった人間を再度重責のある職に任命するのは全く理解できません。

このような状況のなかで見つけたのが、今回の言葉です。

「ひとの過ちはそのひとが属するグループのなかで犯される。

その過ちを見れば、そのひとがどういうひとがわかる。」

党というのは、同じ種類の人間、たとえば親兄弟や仲間のこと。

つまり、ひとの過ちをみれば、そのひとを囲む環境により形成されたひととなりがわかる。

今回の状況で言えば、ふたりの大臣の過ちは、ふたりを抱える自民党のカルチャーがにじみ出ているということになる。

上のふたりの発言も、自民党内では何の違和感もなく受け取られた発言でした。

それが国民の耳に触れると途端に違和感を持ってくる。

岸田首相の人事も、自民党のカルチャーからにじみ出ているものです。

人事は党派の持ち回りで決まるもので、候補者の資質は問わない。

そんな自民党における「仁」は、党内の人間にだけ優しい、思いやりの心のように見えてしまいます。

政権与党の方々に読んでいただきたいのは、まさに「論語」の言葉です。

岸田首相には、為政篇第二の「義を見て為ざるは勇なきなり」を贈りたいと思います。

 

有無相生

 

 

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