老子小話 VOL 1147 (2022.11.05配信)

人之生、動之死地亦十有三。

(老子、第50章)

 

人の生、動いて死地に之くもまた十に三有り。

 

前回のメルマガをお届けした夜、韓国イテウォンで転倒事故が起きました。

日本人2名の方を含む156人が命を落としました。

当時の映像を見ると、押しくらまんじゅう状態であったことがわかります。

専門家の意見では、1平方メートルあたり10人以上になると、圧死の危険がでてくるそうです。

イテウォンの狭い路地が約3メートル幅で50メートルの長さがあったそうなので、路地の面積は150平方メートルになります。

そこに1500人以上の人間が詰め込まれると圧死する危険がでるわけです。

今回の死亡者が156人なので、一割の方が亡くなった計算です。

この事故のニュースを聞いてすぐに、老子のこの言葉を思い出しました。

老子は、「自ら望んで死地に赴き死んで行く者もまた十人の内に三人くらいいる。」という。

どこにも逃げ場のないイテウォンの路地は、まさに死地であったわけです。

ハロウィンの行列に参加するのであって、誰も死地に入るつもりはありませんでした。

あの狭い空間に閉じ込められて始めて、ああやばいと思ったに違いありません。

老子の予想では、死地に赴いて亡くなるのは三割なので、それよりは救われた状況だったのかもしれません。

でも押しくらまんじゅう状態の経験は、過去に幾らでもあります。

超満員電車の中で、「押さないで!苦しい!」と叫ぶ女子学生を見たことがあります。

初詣でお参りするときも、後ろから押されて倒れそうになった経験もあります。

最近では過去の事故を反省して、入場制限をかけ満員にならないように工夫がされている。

このような事故に会わないためには、死地に赴かないことです。

君子危うきに近寄らずという言葉のように、死地には近づかないことです。

ただ、時間と共に安全な場所が死地に変化する状況もある。

イテウォンも時間と共に、状況は急転していきました。

人間というのは不思議なもので、集団心理が働き、危険な状況になってもそれに気がつかない、あるいは気がついても他人の行動につられてしまう傾向があります。

赤信号みんなで渡れば怖くないと考えてしまいます。

確かに日本では当然とられるであろう入場制限が、韓国ではとられていなかったという悲劇があります。

しかし、自分の命は自分で守るという心構えはいつの時代でも必要になります。

最悪の事態を常に想定して、とるべき行動を選択する。

取りこし苦労をいとわないことです。

老子の言葉は、死地に行って亡くなる割合を実際より多少多めに予測して、死地の見極めに目を向けて欲しいと呼びかけているようです。

 

有無相生

 

 

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