◆老子小話 VOL
1144 (2022.10.15配信)
片手を満たして憩いを得るのは、両手を満たしてなお労苦するよりも良い。
それは風を追うようなことだ。
(コヘレトの言葉)
今回は旧約聖書の「コヘレトの言葉」よりお届けします。
コヘレトは人名で、エルサレム王ダビデの子と書かれています。
一切は空という哲学を持った人間です。
空しいものやことを追い求めるのを、「風を追う」と表現します。
風というのは、空気の流れです。
眼に見えず、どこから来てどこに去るのかもわかりません。
自分が止まっていても風は起こるし、自分が走っても風は起こる。
原因は外にあるのか内にあるのかもわかりません。
そのような空しいものを追い求めるほど、空しいことはない。
両手ですべてをつかもうと努力するより、片手で得られるもので充足して憩うほうがずっとよい。
言い換えるなら、100点満点を目指してあくせくするより、50点で満足し空いた時間を楽しく生きることに使ったほうがよい。
なぜなら、人生は束の間の時間だからです。
老子第33章に「足るを知る者は富む」とあるように知足の考えが書かれる。
コヘレトの「片手を満たして憩いを得る」に対応していると思います。
ほどほど得られれば憩いのために時間を使え、人生はより豊かになるのが、老子の「富む」ということでしょう。
老子第9章には、「持してこれを盈たすは、其の已むるに如かず」とあります。
これは器に一杯に満たしていては、そこからこぼれるのが心配でたまらなくなる。
まるでお蔵を財宝で満たして、それを警護するようなもの。
100%を維持するより、50%で満足したほうが気が楽で長生きできると言います。
コヘレトの人生観と老子の人生観が呼応するところでもあります。
コヘレトは空しさを避けようとしますが、老子は風のような空しさ(無)を自然の前提(道)とし、それを肯定した生き方を勧めます。
自然界そのものが100%維持するように出来ていない。
洪水がくることがあれば、日照がくることもある。
宇宙に散らばる星でさえ、誕生から死までのサイクルを繰り返す。
なぜ人間だけが、100%にこだわるのか?
「コヘレトの言葉」を読みながら、こんなことを考えていました。
有無相生