◆老子小話 VOL
1143 (2022.10.08配信)
貧しき者は、財をもッて礼とし、老いたる者は、力をもッて礼とす。
己が分を知りて、及ばざる時は速かに止むを、智といふべし。
許さざらんは、人の誤りなり。
分を知らずして強ひて励むは、己れが誤りなり。
貧しくして分を知らざれば盗み、力衰へて分を知らざれば病を受く。
(徒然草、第百三十一段)
今回はちょっと長いですが、徒然草よりお届けします。
貧しい老人の私には身につまされる言葉です。
「貧しい者は財貨で報いるのを礼とし、老いた者は肉体労働で報いるのを礼とする。
自分の限界を知って、及ばない時はすぐに止めるのを智慧という。
それを許さないなら、許さない人が誤っている。
限界を知らずに無理に励むなら、自分が誤っている。
貧しいのに身の程知らずなら盗みを働き、
力が衰えているのに体を酷使すれば病気になる。」
10月に入って値上げラッシュとなり、年金以外に収入はない身としては、より質素に倹約に励まねばならないようになりました。
吉田兼好さんの時代(ほぼ700年前)も、人々の暮らしようは変わらないようです。
貧しい者も老いた者も、自分に欠けているものを施す事が礼になると考える。
だけど、そもそも自分には無いものをひねり出すわけだから、自ずと限界がある。
その限界を知り、尽きたときには施しを止める決断が大事になる。
その決断を許さない道理はなく、身の程知らずにせっせと励むと、しっぺ返しを受けることになる。
私も、体力が衰えたことを日々感じており、無理をしない加減をはかる大切さ(兼好さんも智と呼んでいる)を感じています。
その限界を超えると途端に体に跳ね返ってきます。
無いものは無いと開き直る覚悟といえましょうか。
無いものを別のもので置き換える知恵も必要になるでしょう。
仏教でいう布施も他人への施しですが、必ずしもお金だけでなく、食べ物や労働や泊まる宿、優しい心遣いでもよいといいます。
無いなら無いなり、それに代わるものが必ずあります。
自分に与えられたものは、財や力以外にも沢山あることを認識しなさいと徒然草は教えてくれます。
自分に与えられたものを他に分かつことで、礼を尽くすことができる。
それが孤独から救われる道なのかも知れません。
有無相生