老子小話 VOL 1141 (2022.09.24配信)

曲則全、枉則直、窪則盈、敝則新。

(老子、第二十二章)

 

曲なれば則ち全し、

(ま)がれば即ち直し、

窪めば即ち盈(み)ち、

(やぶ)るれば即ち新たなり。

 

今回は、老子からお届けします。

先日散歩しているとき、路上を大きな芋虫が急いで横切っているのを見かけました。

スマホで写真をとってFACEBOOKにアップしたら、知人からその芋虫がスズメガの幼虫であることを教えてもらいました。

別の知人からGoogleレンズというアプリを使えば、写真からその対象の名前が検索できることを教えてもらいました。

早速アプリを入手して、過去の草花の写真を検索して名前を知る事ができました。

まったく便利な世の中になったと驚いています。

写真の特徴を抽出して、それに合致した画像をインターネットから見つけるという代物です。

顔写真から人物名が割り出せる恐ろしい世界でもあります。

先ほどの芋虫から、今回の老子の言葉を連想したのがきっかけです。

前置きが長くなりましたが、言葉の意味は、

「曲がっているから、身をまっとうできる。

尺取り虫のように身をかがめていれば、真っ直ぐにのびられる。

くぼんでいるから、満ちることができる。

破れるから新しくできる。」というもの。

尺取り虫も芋虫も体を曲げることを繰り返して前進する。

曲がっている木は役に立たないと思われ、切り倒されないので寿命をまっとうできる。

これは荘子の樗という無用の木の話と同じです。

窪みという空っぽの空間があるから、そこに満たすことができる。

これは人間の脳と同じで、記憶が薄れていくことでくぼみを作るので、新たな記憶を書き込む事ができる。

服も破れるから、新しいものに替えることができる。

社会の変革も同じことで、首相や社長が替わることで、旧態の膿を搾り出すことができる。

自民党と旧統一教会のしがらみという膿は、元首相の死により浮かび上がりました。

これらの言葉はすべて、従来の常識から考えて不完全なものから、物事が進展していくということを物語っています。

不完全なものを否定するのではなく、全てが不完全なものを足がかりにして前進するという前向きな指向です。

生命の寿命を決めているのは遺伝子の欠陥であり、欠陥を減らして長寿になると、地球レベルで高齢化問題が発生するでしょう。

不完全性の役割というものにもっと目を開いて欲しいというのが今回の言葉でした。

 

有無相生

 

 

戻る