老子小話 VOL 1140 (2022.09.17配信)

在途中不離家舍、

離家舍不在途中。

(禅林句集)

 

途中に在りて家舍を離れず、

家舍を離れて途中に在らず。

 

今回は、禅林句集からお届けします。

この言葉は、臨済録から取られています。

そのままの意味は、「途中にあっても家を離れず、家を離れても途中にいるわけでもない。」となります。

何のことだかわかりません。

円覚寺のサイトに「途中と家舎」と題して、この言葉が解説されています。

途中とは旅の途中で、旅とは、お坊さんなら覚りへの修行で、一般人なら人生の旅です。

旅における家とは、宿のことだと想像できます。

今日の旅はあの宿までたどり着くことにしようと旅人は考える。

すると宿は旅の目標地になり、心は目標地に縛られてしまう。

一方、心を宿から離しておけば、今いる所が我が家になるわけで、迷いなく道を歩むことができます。

そのようなことがサイトには書かれています。

たとえ宿に着けなくとも、野宿すればそこが宿になる。

芭蕉の「野ざらし紀行」の心境です。

確かにひとは生まれ死ぬので、人生は生の途中であり、生きている限り、途中の状態から逃げるわけにいきません。

家舎は人生の終着ポイントの死であり、棺おけでもあります。

しかし、死に囚われていると人生を楽しむことができません。

死を別に意識しなくても、今という時点を生の最後だと思えるように生きていれば、人生が有意義に思えてきます。

「自省録」のアウレーリウスも、「現在の瞬間が君の生涯の終局のようにすごさなくてはならない」という。

今回は、禅語のことばの普遍性を味わってみました。

 

有無相生

 

 

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