老子小話 VOL 1137 (2022.08.27配信)

方其夢也,不知其夢也。

夢之中又占其夢焉,覺而後知其夢也。

且有大覺而後知此其大夢也。

(荘子、斉物論篇第二)

 

其の夢みるに方(あた)りては、其の夢なるを知らざるなり。

夢の中に又其の夢を占い、覚めて後に其の夢なるを知る。

且つ大覺有りて、而る後に、此れ其の大夢なるを知るなり。

 

今回は、荘子斉物論篇より、夢の言葉をお届けします。

少々長い言葉ですがお付き合いください。

「夢の中ではそれが夢であることがわからない。

夢の中で夢占いをし、夢から覚めてそれが夢だったことに気づく。

本当の目覚めがあって、人生が一抹の夢であったことに気づく。」

一言で言えば、大覚ありて大夢なるを知る、ということです。

荘子では、胡蝶の夢のほうが有名ですが、この言葉も禅語のようで趣きがあります。

猛将織田信長も出陣前に、「人間五十年夢幻のごとくなり」を唱えたそうです。

芭蕉は、「夏草やつわものどもが夢の跡」と詠みました。

どちらも人生が夢であることを悟るのは死んだ跡になります。

本人が死んでしまえば悟りようがないので、悟るのは後世の人間です。

信長は出陣前に死を覚悟するので、あの世にいった自分の心を想像した言葉ではないでしょうか。

荘子は、人生を夢として認識するには、大いなる覚りが必要だといいます。

夢として認識できるからこそ、苦しみも悲しみも乗り越えていくことができる。

嬉しいことも楽しいこともひとときの感動にすませることができる。

夢の中で夢占いをするというのは、夢の中で夢を見ているという二重の夢の面白さがあります。

荘子がいう大いなる覚り(大覚)は、道を理解するということです。

自分とはどういう存在なのか理解することです。

生物学的、個人的、社会的な意味を理解することです。

偶然性と必然性が絡み合う関係の中で、どのように育まれてきた存在かを自覚することだと思います。

そういう大覚があって、生という夢の中を漂う自分を確かめることができます。

高齢になると、残された夢の時間も少なくなってきます。

喜びも悲しみもすべて夢として受け入れる覚悟も次第に備わってきます。

荘子の言葉は、現実感を伴って心に訴えてくるようです。

 

有無相生

 

 

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