老子小話 VOL 1135 (2022.08.13配信)

頓て死ぬけしきは見えず蝉の声 (芭蕉)

わくら葉に取付いて蝉のもぬけ哉 (蕪村)

 

先日散歩していたら、熱されたアスファルトの上に硬直したセミの骸に出会いました。

周りのセミ時雨は耳鳴りのように頭に響いています。

今回は、セミの誕生から死までを詠んだ句を二つお届けします。

最初は芭蕉の句です。

生命の絶頂で大合唱するセミの声は、やがて死ぬようには見えない。

ZOOM会のテーマとして、セミの一生を調べたことがあります。

何年も地中にいて、地上に出てから数週間でセミは一生を終えます。

鳴いているセミはオスで、メスとの交尾のため、メスを引き付けようと鳴きます。

自分が誕生した目的は子孫存続のためで、与えられた時間は数週間なので、必死に鳴く。

芭蕉は、与えられた命をけなげに生きるセミにこころを寄せます。

次は蕪村の句です。

わくら葉というのは病葉と書き、病気や虫害で枯れた葉のことです。

そのわくら葉にしがみついているセミの抜け殻を見つけたという句です。

わくら葉は生命が失われつつある存在で、その命を受け継いでセミの成虫が誕生して飛び立った様子が描かれます。

蕪村は、自然の中で見かける生命の引継ぎを、その形跡から想像しています。

蕪村の眼はあくまでも、セミの飛び立つ姿をもぬけから想像するだけです。

芭蕉も蕪村も実際にセミの姿は見ていませんが、セミの必死な生き様を想像することで、命のありがたさをしみじみと感じています。

セミの生き様から、何かを学んでいます。

命の終わりが間近に迫っていても、思う存分に生きる事が与えられた使命に違いない。

生命が終わりつつある「わくら葉」であっても、新たな生命の誕生の助けとなりうる。

自然の姿から学んだことを自分の生き方に反映したいものです。

 

有無相生

 

 

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