老子小話 VOL 1132 (2022.07.23配信)

道とは諸を譬うるに水の若し。

溺るる者多くを飲まば即ち死し、

渇する者は適よくこれを飲まば即ち生く。

(韓非子、解老篇第二十)

 

今回は、韓非子が「老子」を解釈した解老から選びました。

老子第八章に「上善は水の若し」という言葉があります。

道の働きは水のようだという意味ですが、韓非子は例を挙げて解釈しています。

溺れる者が大量に飲めば死んでしまう。

のどが渇いた者が適量飲めば、生き返ったようになる。

水は人間を生かしもし、殺しもする。

その分かれ目は、人間の態度いかんで決まる。

水の性質をわきまえていれば、それ相応の反応を道は返してくれる。

ひとの体はそもそも水に浮くようにできている。

何もしないで手足を伸ばしていれば、自然に浮いてくる。

ところが手足をばたばた動かすと、体は沈み水を飲んでしまう。

のどが渇いても、こまめに適量を給水するから生き生きする。

一度に大量に飲んでも体にすぐに吸収されない。

同じ水でも、肺に入れば呼吸困難になり、胃に入れば水分補給になる。

人間の態度次第で、生死を分けてしまう。

老子の場合は、水は低きに流れ、見えない所で万物の営みを支える姿に道を譬えます。

韓非子の場合は、人間の側から、道に対しどのように対すればよいかを教えているようです。

道には慈悲の心はない。

人間が道の性質をよくわきまえて動けば、道はそれ相応に恵みを与えてくれる。

農業、漁業、林業など、自然の恩みに支えられる産業に従事している人間は、道の性質をわきまえていないと仕事になりません。

天候の変化に気を配り、自然のサイクルに合わせるように収穫する。

農業なら、気候にあった作物を選び、土地の肥沃を保つように作物を選んだりする。

漁業なら、海流の変化に合わせ漁場を選び、漁獲量を制御しながら、水産資源を守っていく。

老子を読んでも、読み方によっていろんな解釈が生まれます。

今回は韓非子が捉えた老子を紹介しました。

 

有無相生

 

 

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