老子小話 VOL 1118 (2022.04.16配信)

人生の場景は、粗いモザイク画に似ている。

間近にいては、それは何の印象も与えない。

その美しさに気づくには、距離を置く必要がある。

(ショーペンハウアー)

 

The scenes of our life are like pictures in rough mosaic,

which have no effect at close quarters,

but must be looked at from a distance in order to discern their beauty.

 

今回の言葉は、ドイツの哲学者ショーペンハウアーの言葉です。

ドイツ人なので英訳で表現するのはおかしいのですが、和訳より表現は堅苦しいけれど論理的に見えます。

モザイク画は、モネの絵のように粗めの点描パターンで描かれているので、近くで見ていてはその美しさがわからない。

絵から離れて眺めると、始めて美しさを感じる。

人生の場面場面も同じような効果があると、ショーペンハウアーはいいます。

なかなか味わいのある言葉です。

個々の場面は辛いとき、苦しいとき、楽しいときと、その色合いに染まります。

感情がある一色で染まり、客観的に見つめる余裕がない。

その場面から時間的な距離を隔てもう一度眺めると、場面場面のつながりが見えてきて、人生の奥深さに気づく。

ショーペンハウアーは、「人生は苦痛と退屈の間を行き来する振り子だ。」ともいいます。

楽しさばかりでは退屈になるし、苦しさばかりでも生きづらくなる。

その両方がモザイクのように散りばめられて、鑑賞に足るひとつの絵になる。

その絵の美しさは、苦痛の渦中、退屈の渦中にいるときはわからない。

ある時間が経過して、あるときふと気がつくことがある。

Life is beautifulに気づくチャンスがあれば、それはもう御の字です。

ショーペンハウアーの哲学を厭世的だとよくいいますが、この言葉を見る限り、人生を冷徹に客観的に捉えていると思われます。

結局自分の人生を絵として味わえるのは、自分しか居ません。

モザイクのパーツごとに一喜一憂していてもパーツ相互は断絶し、ちっとも面白くない。

モザイク全体を遠くから見返してみて始めて、パーツは統合し調和が生まれ、一度限りの人生の意味に気づくようになる。

つまり、自分だけの絵の貴重さを実感できる。

ショーペンハウアーの言葉から、そんな思いに至りました。

 

有無相生

 

 

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