老子小話 VOL 1115 (2022.03.26配信)

花に来て花にいねぶるいとまかな

(与謝蕪村)

 

今回の言葉は、蕪村よりいただきました。

平和な日本を表現する句です。

花見の季節になりましたが、花見でアルコールが入ると木陰でついうとうとすることがあります。

別にお酒を呑まなくても、春の日和のもと心地よい風が流れてくると、眠りに落ちてしまう。

その瞬間を「いねぶるいとま」と読んでいます。

いねぶるとは、居眠り、つまり横になるのではなく、すわったまま眠ってしまうこと。

また、いとまとは、暇、つまりある状態から解放されて、のびのびすることです。

老荘的に表現すれば、逍遙することでしょうか。

荘子に「胡蝶の夢」という話があります。

夢の中で自分が蝶になったのか、蝶が自分になったのかわからなくなるという話です。

桜の木の下で寝入ってしまうと、蝶になって花から花へと飛び交う夢を見るかもしれません。

夢から覚めると、蝶だった自分が人間に化ける感覚をもっても不思議ではない。

蕪村もそんなイメージをもってこの句をつくったのかもしれません。

幸い日本には四季があり、春にはさまざまな花の開花を楽しむことができます。

花見を楽しむ機会、そして楽しむうちに「いねぶるいとま」を得る機会まで与えられるような平和のなかにいます。

この平和は上から降ってきたのではなく、先人たちの努力のもとに成り立っていることを思い返さなくてはいけないと考えます。

鎌倉時代に元寇が中国から2回攻めて来たときに、降伏していれば今頃日本は中国の省になっていたかもしれません。

第二次大戦で、原爆2発を落とされても降伏せず戦っていれば、北海道はソ連領土になっていたかもしれません。

国を守る思いは、洋の東西を問わずどの国民にもあり、その思いに基づく先人の決断が平和を支えていると考えられます。

今回のウクライナ侵略で、平和を維持する難しさを改めて感じました。

平和維持には、国を守る思いを基盤とし、平時から多国間の協力関係を構築し、平和を守る思いで世界が団結すること以外にないようです。

 

有無相生

 

 

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