◆老子小話 VOL
1110 (2022.02.19配信)
不正なことが、不正な方法で除かれるよりは、
不正が行なわれている方がまだよい。
(ゲーテ)
今回の言葉はドイツの賢者ゲーテよりいただきました。
文庫本「ゲーテの格言集」は名言の宝庫です。
法律の考え方の基本を述べている言葉です。
不正を取り締るために法律は作られました。
不正を法律でもって排除する際、不正な方法で排除するとはどのようなことでしょうか?
被告の自由な弁論が許されず審理も十分尽くされず、しかも内容を明らかにせず、違法の判決が下されることです。
今の中国の司法や戦時中の日本の司法を見れば明らかです。
ゲーテは、法律を不正に運用するくらいなら、不正を野放しにするほうがよいといいます。
その理由を考えてみたいと思います。
不正を無くすために法律は必要ですが、法律を適用するには公正さと公平さが必須になります。
地位の高い人には甘く、地位の低い人には厳しく適用していたのでは、法のもとにすべての人は平等という憲法に反することになります。
公正さと公平さが保たれないまま法を適用すると、法律に対する国民の信頼が失われ、国の秩序が揺らぐことになります。
それくらいなら、法の適用をしないほうがよいと考えるのは納得がいきます。
戦前の日本には大逆罪があり、天皇や皇室に危害を加えようと企むだけで死刑になりました。
官憲により事件をでっちあげられ、拷問を受け供述に追い込まれた幸徳秋水らが処刑された大逆事件は有名です。
戦後、名誉回復のため事件関係者が再審請求しましたが、審理の過程に公正さを欠く点があったにもかかわらず最高裁は抗告棄却しました。
大逆事件は、大逆罪という悪法から見て不正と考えられた行動が、不正な方法で成敗されてしまったように思います。
法治国家日本において、政治の世界では贈収賄事件が相変わらずニュースとなります。
不正なことが多すぎて公正な法の適用すら面倒になっている感があり、ある程度不正を野放しにしている状態は続くでしょう。
スピード違反や駐車禁止と同じようなものなのかもしれません。
有無相生