老子小話 VOL 1109 (2022.02.12配信)

故足之於地也踐。雖踐、恃其所不蹍而後善博也。

人之知也少。雖少、恃其所不知而後知天之所謂也。

(荘子、徐無鬼篇)

 

故に足の地に於けるや踐(ふ)む。

踐むと雖も、其の蹍(ふ)まざる所を恃みて而る後に善く博きなり。

人の知や少し。

少しと雖も、其の知らざる所を恃みて而る後に天の謂(な)す所を知るなり。

 

今回の言葉も荘子からです。

白内障手術で入院中に「マンガ 老荘の思想」を読んで、そこに載っていた話です。

漢字が文字化けしていたらすみません。

少し長いですが、意味は次の通りです。

「人間の足は大地を踏んで立っている。

但し、大地は足の幅だけあればいいというわけでなく、足で踏んでいない地に支えられてはじめてゆとりある行動ができる。

同様に人間の知識の範囲は狭い。

但し、その狭い知識も、その周囲に広がる未知の範囲に支えられてはじめて自然の働きを知ることができる。」

マンガでは、自分の立っている土地が有用でその周りの土地は無用と言い張る男の、周りの土地を掘ったら穴に落ちて立っていられなくなる姿が描かれていました。

自分の存在が見えないものに支えられていることを教えられる言葉です。

これを知識に展開するところがなかなか面白い。

知っていると思うことが知らないことに支えられている。

北京五輪で平野歩夢君がスノボーハーフパイプで金メダルをとりました。

あの演技を見ていて、あんなにくるくる空中回転していてよく目が回らずに氷の壁に着地し、しかもスピードの維持したまま高難度の技を続けられるものだと感動しました。一瞬タイミングがずれただけで転倒してしまうのは明らかです。

厳しい練習と努力でそこまで到達できることを証明してみせたわけですが、自分の能力が見えない力に支えられていると感じているのは平野君自身かもしれません。

ハーフパイプの特徴や天候の変化を体の感覚でつかみ、ベストの姿勢に持っていく能力は言葉では説明できません。

自己の能力への自信がなければ危険な技に挑戦できませんが、自信を超えた何かが自分を支えてくれる。

今回惜しくもメダルを逃した羽生結弦君の発言が印象的でした。

自分の能力を超えた何ものかに支えられて高難度技への挑戦を続ける姿勢は胸を打ちます。

無用に見えるものに支えられているという実感は生を充実する上で大事だと荘子は語ります。

 

有無相生

 

 

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