◆老子小話 VOL
1106 (2022.01.22配信)
分け登る麓の道は多けれど 同じ高嶺の月を見るかな
(一休禅師)
今回の言葉は一休禅師よりよりいただきます。
一休さんといえば、「この橋わたるべからず」などのとんち話で有名です。
禅宗のお坊さんなので、厳しい修業を積まれた結果、この歌を詠まれました。
悟りの境地を目指して修行する身は、麓から山頂を目指して登る山登りに似ています。
山登りのルートはいろいろあるように、修行の道はいろいろある。
仏教、キリスト教、イスラム教などの宗教によっても異なり、そのひとの経験や性質によっても異なります。
修行の道は沢山あるけど、目指すところは同じところだという意識が大事だと一休さんはいいます。
かつてあった宗教戦争は、山登りの途中でルートの正当性を争い、仲たがいを始めたようなものです。
道の多様性を認めた上で、目指すところに到達できるように協力していかねばなりません。
では、修行で目指すところは何処でしょう?
地球環境が保全された中で、各人が心穏やかに平和を感じ、幸せを感じる世界です。
一休さんは、その到達目標を「高嶺の月」と呼びます。
山頂よりも更に高いところにある月です。
永遠に行き着けないかもしれないが、その世界を目指して一歩一歩登ることが大事だといいます。
歴史的にみれば、人類はおよそ50年前に月面着陸し、高嶺の月まで行き着いてしまいました。
しかし、世界は環境破壊が進み、経済格差が拡大する現状です。
従って、目指す世界は「高嶺の月」から離れる一方です。
私たちも人生の道を歩む修行者といえ、道の先にある「高嶺の月」は生きる目標となります。
自分にとっての「高嶺の月」は何なのかを自問し、それに一歩でも近づけるように生きたいものです。
偶然によって道はいろいろ分かれますが、どの道を進んでも同じ目標に向かえます。
有無相生