◆老子小話 VOL
1101 (2021.12.18配信)
すべて、何も皆、事のとゝのほりたるは、あしき事なり。
し残したるをさて打ち置きたるは、面白く、生き延ぶるわざなり。
(吉田兼好、徒然草第八十二段)
今年も残すところあと二週間足らずとなりました。
清水寺が年末に選ぶ今年の漢字は「金」でした。
コロナ禍中のオリンピックで金メダルも沢山とれたのがその理由だといわれています。
メダルに届かなくても、日々練習に励み試合に全力投入した姿こそが金にふさわしいと思います。
今回の言葉は、徒然草からお届けします。
「すべて何でも皆、物事が完全に出来上がっているのは味わいがない。
未完成のまま残しておくのが面白く、将来の完成に向け生命を延長するしかけといえる。」
まさにガウディのサグラダ・ファミリア教会のことをいっているようです。
1882年着工で未だに建設中です。
ガウディといえばかたつむりですが、かたつむりの歩みのように事を急がない。
兼好法師も、事を急がず、不完全の美を楽しむところに趣きが出てくると考えている。
対称性とか周期性とか、完全を求めるのが人間の欲望です。
モスクのモザイク模様がその一例です。
しかし、完全から欠けているのが自然界では普通です。
茶碗一つとっても同じように焼きあがりません。
自然のゆらぎに応じていろんな変化が形や色や触感や香りに現われる。
その不完全性こそがそのもの独自の味わいになる。
柳宗悦氏の説く、不完全の美です。
老子第四十五章に「大成若欠」(大成は欠くるがごとし)という言葉があります。
その欠けた部分に大事な役割があるわけです。
自分にないものを追い求めるのではなく、ないが故にその強みを生かして新たな美や価値を発見する。
兼好さんの言葉はなんだか勇気を与えてくれる言葉です。
有無相生