◆老子小話 VOL
1093 (2021.10.23配信)
月を見ていづれの年の秋までか
この世に我か契あるらむ
(西行)
今回の言葉は西行の歌です。
手元の「山家集」をぺらぺらとめくって、月前述懐と題した歌を見つけました。
数日前の月は満月で、朝5時ごろだったので西の空に輝いていました。
月を眺めて思いを馳せる経験は誰しも一度はあることではないでしょうか。
西行さんは、月を眺めて作った歌が多いようです。
「月を眺めて、いつの年の秋まで生きられる運命なのか?と思ってしまう。」と歌っています。
契りには約束の意味があり、男女間の約束以外に、前世からの因縁の意味もあります。
自分がいつまで生きられるかは因縁で決まるという仏教の思想が背景にある。
自分の経験からいうと、美しいものに触れたとき、この感動は残された人生であと何回味わう事ができるかと思うことがあります。
これは西行さんと同じ心境です。
月は秋の風物詩で、自然の美の一つです。
しかも常に満月ではなく、満ちて欠けるという変化を永遠に続けます。
たとえ天空で満月であっても、雲がかかればその姿を拝むことはできません。
いろんな条件が重なり合ってはじめて、その美しさに触れる事ができる。
自然の美しさに出会えること自体が、因縁(宿縁)に導かれていることになります。
歳をとってくると、足が弱り目が弱り、自然の美しさに出会える機会が減っていきます。
その中で、身の回りの自然というものに目を向けてもいいかなと最近思うようになりました。
一つは空の雲の変化です。
雲は流れ、その形は絶えず変化します。
綿のように見えたり、渦になったり、時には龍になったりします。
何に見えるかはその時の気分次第で、これもまた宿縁。
この先どんな運命が待ち構えているかさておいて、自然の美しさに出会えた宿縁にありがとうといわずにおれません。
有無相生