老子小話 VOL 1092 (2021.10.16配信)

一粒の麦が地に落ちて死ななければ、

それはただ一粒のままである。

しかし、もし死んだら、豊かに実を結ぶようになる。

 (新約聖書、「ヨハネによる福音書」)

 

今日の朝刊第一面に、「日本の年収、30年横ばい」という見出しが見つけました。

グラフを見ると、米国、ドイツ、英国は右肩上がりですが、日本だけが横一直線になっています。

物価上昇を考えれば実質的に年収は低下傾向にあり、デフレのお陰でかろうじて生活できているようです。

この30年の政府の無策ぶりが、結果となって見えているわけです。

今回の言葉は、聖書の言葉を選びました。

佐藤優氏の「人生の役に立つ聖書の名言」(講談社文庫)で見つけました。

この言葉が持つ意味を考えてみたいと思います。

一粒の麦は、それ自体が命を持っています。

しかし、その命に固執して今の立場に居続けていれば、一粒のままで終わってしまう。

今の立場を捨てて新しい命として芽を出せば、それが実に成長する機会を得るわけです。

死ぬことは、生命の世代交代といってよいと思います。

今回の岸田首相誕生の経緯を見ていても、世代交代できない古参の政治家が足をひっぱり、自分の派閥論理を押し通した様子がうかがえます。

これは政治の世界ばかりではありません。

企業においても、世代交代できない経営者が居残るため、思い切った経営ができずに世界の波に取り残される結果になりました。

その波に飲み込まれないように賃金を抑え企業内で蓄財するも、投資先の判断もできない局面になっている。

死というサイクルを通過しなければ、新たな生命は生まれてこないという聖書の言葉の意味をもう一度考えるべきでしょう。

聖書なので確かに宗教的な意味をもっていますが、死を恐れずに新たな命に将来を託すという決断の勇気を与えてくれます。

荘子の言葉に「得る者は時なり。失う者は順なり。」があります。

この世に生まれてきたのは、たまたま時を得たまでのこと。死ぬのは去るべき時が来たまでの事。

自然界の生き物はいつまでも生き残って、次世代の恵みまでも摘み取る生き物はいません。

荘子も聖書も、こういった大所から死をとらえる見方を教えてくれます。

 

有無相生

 

 

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