老子小話 VOL 1089 (2021.09.25配信)

随処作主、立処皆真。

 (臨済録)

 

随所に主となれば 立つ所皆真なり

 

今回の言葉は、山川宋玄老師のYoutube動画で知りました。

「臨済録」の本は手元にあったものの内容は頭から抜けていました。

老師の説明を聞いて、少し理解が深まりました。

主というのは主人公の意味です。

「どんな状況においても主人公として取り組むならば、その場所は真実の世界となる」

ノーベル平和賞を受賞したマララさんは、パキスタンで女子教育の重要性を訴え銃撃を受けましたが、再起し活動を世界に拡げました。

アフガニスタンで政権についたタリバンは、女子に教育はいらないと唱え、マララさんの活動はまだ道半ばです。

しかしマララさんの立つ処には、真実の世界が広がりつつある。

動画の中で山川老師は真の泥棒の話をされました。

親父の泥棒が息子に泥棒稼業を譲るとき、息子が真の泥棒かテストをする。

息子を蔵に閉じ込めて、どのようにして逃げるかを考えさせる。

息子は長持ちの中に隠れてネズミのふりをして何とか外に出て、井戸に石を投げ入れ時間を稼ぎ、九死に一生を得る。、

どんな危機的状況でも主人公として智慧を振り絞り行動できたとき、道は拓ける。

泥棒稼業に限らず、どんな仕事でも同じ事が言えます。

他者の知恵はネットや本で得る事ができる。

それが本当に自分の血肉となるのは、自分が主体的に考えて行動できたときだと、臨済録の言葉は教えます。

卑近な例で申し訳ありませんが、道順を覚えるのは、道に迷ってあれこれ自分で考え試行錯誤したときのようです。

物の道理も又聞きほど危ういものはない。

 

有無相生

 

 

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