◆老子小話 VOL
1088 (2021.09.18配信)
達生之情者,不務生之所無以為。
達命之情者,不務知之所無奈何。
(荘子、達生篇第十九)
生の情に達する者は、生の以って為す無き所を務めず。
命の情に達する者は、知のいかんともする無き務めず。
敬老の日が近いので、荘子達生篇の冒頭の言葉をいただきました。
わたし自らが高齢者の端くれなので、この言葉をしみじみ味わいます。
「生命の実相を達観する者は、生命がどうすることもできない事実を人為によって変えようとはしない。
運命の実相を達観する者は、人智ではどうすることもできない事実を人為で変えようとはしない。」
達生とは人生の達人という意味で、冒頭の二字を採っています。
生の以って為す無き所とは、寿命の長短のことです。
長寿が本当に幸せかという問題に関し、菊谷隆太氏が仏教的立場から面白いたとえをYoutubeで話されました。
今朝寝床の中で聞いたばかりの話です。
人間を地上から飛び立った飛行機に例えます。
誕生とともに飛び立ち、燃料が尽きると人生を終わる。
いつ燃料が尽きるかわからないので不安になる。
若いときは燃料満タンで乗っている飛行機が落ちるとは考えない。
歳をとってくると体力もなくなり、からだのあちらこちらにガタが来ると、そろそろ燃料切れかと思うようになる。
コロナ禍の今、たとえ若くても死は身近に迫っている。
この不安を忘れるために、何かに打ち込んだり、楽しい思い出を作ろうとする。
しかし、本当に大事なのは飛行機がどこに向かって飛んでいるのかということ、つまり目的地を明らかにすることだといいます、
自分なりに解釈するなら、どのような状態で死んだなら穏やかに死ねるかを考えておくことが目的地を明らかにすることだと思います。
必ずしもイメージ通りにいきませんが、日常においてこのイメージに叶うような生き方をすれば、燃料切れになっても穏やかで居られると思います。
一方、荘子は上の言葉の後で「正平なれば則ち彼と更生す」といい、平静な状態に身を置けば自然とともに無限の生の循環を繰り返すという。心を空の状態にしておけば、自然と同化し自他の区別は消え、飛行機が飛んでいることすら忘れている。
燃料切れになっても、もはや飛んでいることを忘れ、夢幻の世界の中で穏やかに往けるのかもしれません。
人生の達人になるには、座禅がどうしても必要なようです。
有無相生