◆老子小話 VOL
1084 (2021.08.21配信)
風来疎竹、風過而竹不留声。
(菜根譚)
風、疎竹に来たるも、風過ぎて竹は声を留めず。
今回の言葉は、久し振りの菜根譚です。
風がまばらの竹林に吹くと、さらさらと風に鳴る。
風が過ぎていった後はもとの静寂に戻り、竹は声を留めない。
一体なんの事?と思われるかもしれません。
菜根譚の言葉は禅語のように響きます。
この言葉のあとに、「事来而心始現、事去而心随空」が続きます。
訳すまでもありませんが、「事が生じて始めてそれに反応する心が現われ、事が去れば心は空になる」。
目の前で起こるいろいろな出来事に対して、喜び、悲しみ、怒り、驚きなど心の反応が現われます。
こういった感情はごく自然に起こる、当たり前の現象です。
大事なのは、出来事が去ったあとは心の揺れに執着せず、もとの安らかな状態に戻ることです。
菜根譚は、「風過ぎて竹は声を留めず」とうまく表現しています。
身に降りかかる災難にあえば、怒りや悲しみが心に溢れることがあるかもしれません。
そういった感情が尾をひかず冷静な心に立ち戻るなら、次の道が見えてきます。
心が空の状態にしておけば、どんな出来事が起ころうとも動ぜず対応ができる。
空というのは、心の揺れをすぐにもとに戻した状態です。
量子力学の言葉を使うなら、出来事に出会って励起状態にあった心を速やかに基底状態(ゼロ点)に戻しておくことです。
老子が理想とする道への回帰も、基底状態(ゼロ点)への回帰といえそうです。
竹というのは、しなやかだけど強さを持っています。
強風が吹いてしなっても、風がおさまれば元の姿に戻る。
柔弱であることが、ゼロ点への回帰も速やかに行なえるようです。
菜根譚のたとえは老子につながるように思えます。
有無相生