老子小話 VOL 1081 (2021.07.31配信)

飢来喫飯、睡来合眼。

 (臨済録、示衆)

 

飢え来たれば飯を喫し、

睡来たれば眼を合す。

 

東京五輪が始まって早一週間、メダルラッシュが続いています。

一方コロナ感染は急拡大し、一日の感染者は全国で一万人を超えました。

世の中はめでたいことも危ういことも同時進行です。

そんな中で我々はどう生きればよいかを教えてくれるのが臨済録です。

臨済録は、臨済宗開祖の臨済義玄という中国の僧の言葉をまとめた本です。

今回の言葉は臨済録から選びました。

この言葉の前に「不如無事休歇去」とあり、無事平隠でやることがないままでいるのが一番よいとされます。

腹が減れば飯を食い、眠くなれば眼を閉じる。

ごく当たり前の事ですが、なかなかできません。

腹が減ったときに食べる食事が一番美味しく、眠たくなったときに眠るのが一番深い睡眠といえます。

体の中からのメッセージに従って行動することです。

現代生活は頭で考えたルールに従って行動することが殆どです。

朝起きてお腹が空いていなくても朝食をとり、眠たくなくても布団に入る。

…しなくてはならないと頭で考えたルールを大事にします。

しかし、一生懸命働けばエネルギーを使うので、お腹も減るし体も疲労する。

それを補うのが食事であり睡眠です。

体という内なる自然はうそをつきません。

そのメッセージに従っていれば、体に無理は働かず無事でいられるわけです。

そういう意味で、体が発するメッセージは貴重です。

汗をかくのはほてった体を冷やすためであり、額からの汗が多いのは熱に弱い脳を保護するためです。

汗をかけば体は水分を欲し、のどの渇きで水分補給を要求する。

熱中症にかかるのはそのメッセージを聞き逃しているためです。

臨済録の言葉は、仏の言葉は頭から入るのではなく、体から入るものだといっているようです。

日常の食事ひとつとっても、体から入った作法に仏の心は現われている。

今回の言葉は、当たり前が体に入るときに、仏の心が自然と現われるという深い言葉でした。

 

有無相生

 

 

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