老子小話 VOL 1080 (2021.07.24配信)

壷の中に入った1個の銅貨はうるさく音を立てるが、

銅貨が一杯詰まった壷は静かである。

 (タルムード)

 

今回は、ユダヤ人の知恵の集積である、タルムードから言葉を選びました。

壷は人の器で、銅貨は知恵の一片に例えることができます。

浅知恵の人は知ったかぶりをしておしゃべりになる。

壷の中で少ない知恵を駆使して、言葉数が増える。

一方知恵が詰まってくると、言葉を選びながら話すので、物静かになる。

その様子を、銅貨の詰まった壷に例えています。

古代ギリシャの哲学者プラトンは、An empty vessel makes the loudest sound. (空っぽの器は最もうるさい音を立てる。) という。

そのこころは、機知に欠けるほどおしゃべりになるからです。

タルムードにしてもプラトンにしても、中身が空っぽほどよくしゃべるといい、知恵の充実を勧めます。

では老子は何といっているかというと、「知る者は言わず、言う者は知らず。」(第56章)という。

知恵が深まるとわからないことも増えてきて、軽々しく言葉で表現できなくなる。

逆に、いかにもわかったように話すのは、知らないことを露わにしているのと同じになる。

銅貨が器に詰まると、自然に無言になる。

「希言は自然なり」(第24章)というように、知恵の宝庫である自然はかすかな言葉でわれわれに語りかける。

次に、タルムードの言葉を知の体系化という観点で見直してみます。

いくらたくさんの知恵を身につけても、それらが相互に関連づけられていないとばらばらで役立つ知恵に育ちません。

それらを体系化し相互に結び付けて始めて、深化された役立つ知恵となる。

銅貨が一杯壷に詰まっていても、個別にばらばらでは音は静かにならない。

銅貨同士が繋がりあって始めて、ぶつかり合う音は消えます。

個別の知恵が関係性のもとで一つの大きな知恵に成長する姿が見えます。

コロナに打ち勝った証し(?)としての五輪開催となりました。

しかし開催式直前から不祥事が噴出して、コロナとは関係なく後味の悪い五輪となりました。

コロナ感染して出場棄権する選手が続出し、証しの言葉がむなしく響きます。

素直な気持ちとして、コロナと共生した五輪が真の姿でしょう。

菅総理がなぜ権力を誇示し虚勢を張るのか不思議でなりません。

感染を免れた幸運な選手が無観客でも力の限り最善を尽くす姿こそが、共生の真の姿のように思います。

タルムードの言葉をきっかけに、勝ち負けで五輪を捉えるのではなく、スポーツの真の目的の共有として五輪を捉えるに至れたのは喜ばしい限りです。

 

有無相生

 

 

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