老子小話 VOL 1078 (2021.07.10配信)

書不尽言。言不尽意。

然則聖人之意。其不可見乎。

 (易経、繋辞上伝)

 

書は言を尽くさず。

言は意を尽くさず。

然らば、聖人の意は其れ見るべかざるか。

 

とうとう緊急事態宣言下での五輪開催となりました。

円覚寺の横田老師が、「コロナの社会において、言葉が果たせる役割は終わった」という金田一秀穂先生の言葉を紹介されました。

毎日新聞の記事の中での言葉です。

人流抑制というコロナ対策は、人々の生活や行動を変えている実感はない。

そもそも人流なんていう言葉が意を尽くさず空回りする。

そこで今回は、易経の中で語る孔子の言葉を紹介します。

(本)を書いても、書き足らないことが後から出てきて、言葉に尽くす事ができない。

言葉に表わしても、真意を十分尽くすこともできない。

それならば、昔の聖人の真意を知ることはできないのかという問題提起です。

仏教のもとになる釈迦の教えも、始めは口伝だけで書にはしませんでした。

それが書になると、書にした人の思い入れが加わり、釈迦の教えも変形していきます。

小乗仏教と大乗仏教に分かれていったのが実態です。

今に生きる我々は、書から言葉をたどり、言葉から真意を想像するしかありません。

それだけに言葉の持つ意味は大きくなります。

人流を例にすれば、社会生活自体が人の流れですから、人流を抑制することは社会生活を抑えることになる。

何か言っているようで、何も言っていない。

国民が共感できないのは、そんな言葉の空しさに気づいているからです。

ロックダウンの方がよっぽどわかりやすいメッセージです。

緊急事態宣言も意味のない言葉になりました。

とはいえ、金田一秀穂先生は言語学者であるので、言葉の持つ可能性に期待しています。

お疲れ様という何気ない言葉が、心をほっこりさせる、自分が必要とされていることを感じさせる。

心がこもった言葉は、心にストレートに届く。

そういう可能性だけは信じたいですね。

 

有無相生

 

 

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