◆老子小話 VOL
1078 (2021.07.10配信)
書不尽言。言不尽意。
然則聖人之意。其不可見乎。
(易経、繋辞上伝)
書は言を尽くさず。
言は意を尽くさず。
然らば、聖人の意は其れ見るべかざるか。
とうとう緊急事態宣言下での五輪開催となりました。
円覚寺の横田老師が、「コロナの社会において、言葉が果たせる役割は終わった」という金田一秀穂先生の言葉を紹介されました。
毎日新聞の記事の中での言葉です。
人流抑制というコロナ対策は、人々の生活や行動を変えている実感はない。
そもそも人流なんていう言葉が意を尽くさず空回りする。
そこで今回は、易経の中で語る孔子の言葉を紹介します。
書(本)を書いても、書き足らないことが後から出てきて、言葉に尽くす事ができない。
言葉に表わしても、真意を十分尽くすこともできない。
それならば、昔の聖人の真意を知ることはできないのかという問題提起です。
仏教のもとになる釈迦の教えも、始めは口伝だけで書にはしませんでした。
それが書になると、書にした人の思い入れが加わり、釈迦の教えも変形していきます。
小乗仏教と大乗仏教に分かれていったのが実態です。
今に生きる我々は、書から言葉をたどり、言葉から真意を想像するしかありません。
それだけに言葉の持つ意味は大きくなります。
人流を例にすれば、社会生活自体が人の流れですから、人流を抑制することは社会生活を抑えることになる。
何か言っているようで、何も言っていない。
国民が共感できないのは、そんな言葉の空しさに気づいているからです。
ロックダウンの方がよっぽどわかりやすいメッセージです。
緊急事態宣言も意味のない言葉になりました。
とはいえ、金田一秀穂先生は言語学者であるので、言葉の持つ可能性に期待しています。
お疲れ様という何気ない言葉が、心をほっこりさせる、自分が必要とされていることを感じさせる。
心がこもった言葉は、心にストレートに届く。
そういう可能性だけは信じたいですね。
有無相生