老子小話 VOL 1077 (2021.07.03配信)

人類はお互い同士のために創られた。

ゆえに彼らを教えるか、

さもなくば耐え忍べ。

 (マルクス・アウレリウス、「自省録」)

 

今年ももう半分が過ぎ去りました。

世の中では面白いようにいろんな事が起きています。

万全を尽くして五輪開催するといっておきながら、

コロナワクチンは足りず、集団接種は中止となる。

五輪選手の入国検疫はザルで、入国時の抗原検査を陰性で通過しても感染が発見される。

言わば政府の言うこととやっていることがチグハグで、国民の信頼は失われている。

こんな状況の中で、アウレリウスの言葉を味わいます。

人間が孤独に生きていたならば、そもそも人類には発展できなかった。

互いに助け合いながら共存して生きてきたから、家族・社会・都市を形成し、類として大きくなった。

発展過程において人間が果たすべき役割に、アウレリウスは言及します。

自分のアイデアを相手に教え、集団の発展に寄与するという役割がまずある。

もう一つは、集団の恩恵に服して、ひたすら耐え忍ぶという役割もある。

自分を振り返ってみると、確かに自分の考えが相手に受け入れられたときは、結果的に相手を教えたことになります。

逆に受け入れてもらえなかったときは、我慢するしかありません。

対人関係の中だけに身を置くと、ストレスが増していきます。

そこで養老孟司先生が言うように、たまには自然の中に身を置いて、集団の一員としての自分から、自然の一部としての自分に回帰する。

そうすると、人類を取り囲むもっと大きな世界が見えてくる。

生成と消滅(分解)を繰り返す、厳然たる宇宙の原理が見えてくる。

アウレリウスも言います。

「死んだものは宇宙の外へ落ちはしない。ここに留まるとすれば、更にここで変化し、分解してその固有の元素に還る。それは宇宙の元素であり、また君の元素である。」

人間社会に住み続けるなら、教えるか耐えるしかない。

コロナ禍のもと、時短・自粛で耐え続けることが多い毎日ですが、自分の行動を以って相手に教えることも社会人の役割の一つです。

そして、たまには人間社会を超えるもっと大きな世界に触れて、ストレスをやわらげることも必要でしょう。

 

有無相生

 

 

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