◆老子小話 VOL
1076 (2021.06.26配信)
教育とは、被教育者に、
君らも教育者と同じ程度のことを
知っているのだと気付かせること。
(リチャード・バック、「イリュージョン」)
昔会社の仲間から面白い本だと薦められた、「イリュージョン」(集英社文庫)を読んでみました。
作者は、「かもめのジョナサン」で有名な方です。
今回の言葉は、「イリュージョン」で、救世主入門テキストに書かれていたものです。
村上龍氏の訳でご紹介します。
教育の本質をついた言葉ですね。
学ぶ者(被教育者)の気づきを誘導してあげるのが教育。
何に気づくかといと、教育者と同程度のことは知っていたということ。
そんなこと教わる前から知っていたと、学ぶ者が思えれば教育はすでに大成功。
無為の教育とも言えます。
何も新たに知ったことはないと思わせることが教育の原点です。
自分で考える習慣が身についた証拠です。
上の言葉の前段に、「学習とはすでに知られていることを見つけ出すこと。行為は、学習の証明。」と書かれています。
教育者もこの基本的な学習過程を経て教育者になったんだと学ぶ者が気づけば、教育の使命は果たされます。
さらに言えば、教育者も教えるだけでなく、学びのプロセスの途中にいることに学ぶ者に気づいてことが大切になります。
そういう意味では、教育者は学ぶ者と同じ視点に立って、すでに知られていることを更に深めて理解する立場に立つことになる。
論語にいう、「故きを温(たず)ねて新しきを知る」も、この学習プロセスを言っているように思えます。
教育の本質は無為の教育にあるとする今回の言葉は、老荘ファンにとって身近に思えました。
有無相生