◆老子小話 VOL
1075 (2021.06.19配信)
福莫福於少事、過莫過於多心。
(菜根譚)
福は事少なきより福なるはなく、
禍は心多きより禍なるはなし。
今回は久々の菜根譚です。
すっと頭に入る言葉です。
私は朝起きるときょう一日の無事を祈りますが、この無事が「事少なき」です。
何とか一日を心平静に過ごせれば御の字です。
反対に禍いというのは、いろんな思いが湧いてきて心が落ち着かなくなるのが最悪です。
悩みが悩みを生み、収拾がつかなくなる。
こういうときには、座禅や瞑想で無心になるしかありません。
あるいは何か別のことに打ち込んで迷いを断ち切るしかありません。
面白いもので、一日忙しく動き回って体が疲れきっているときには悩みは生まれてきません。
目の前のことをこなすのに精一杯で悩む暇がありません。
悩むというのは考える時間があってのことです。
動き回ることを「事多き」と考えると、事多き状態に身を置いて心少なき状態を作るので、菜根譚は矛盾するように見えます。
しかし、「事少なき」の「事」は、大事の意味です。
大事になるのは、油断だったり心のおごりが導く原因になります。
参院選買収事件で実刑判決を受けた河合元法相に、1.5億円の選挙資金を渡したのが安倍元首相と菅現首相の二人。
どういう積もりで破格の資金を渡したのか知りませんが、買収があっても党内のことだから大事には至らないとたかをくくっていたのでしょう。
買収の事象(件数)は多くても、大事に至らなければ当選という福が得られます。これが資金を渡した人間の心づもり。
一方、河合元法相のほうは、あれも買収しようこれも買収しよう、更には奥様の選挙も絡み、心多きことこの上ない。
告発するはずがないとたかをくくっていた同胞が自供し始め、大禍となりました。
選挙資金を渡したほうももらったほうも、共に心のおごりがあったのでしょう。
大事を招くのは、あれもこれもという心のゆらぎです。
これさえ防げれば、大きな失敗はないと菜根譚は教えます。
国民の安全と安心のために、観客まで入れて強引に開催する東京五輪。
そこに心のおごりがなければいいのですが、大事に至らないことを願います。
有無相生