老子小話 VOL 1072 (2021.05.29配信)

さみだれや 大河を前に 家二軒

 (与謝蕪村)

 

梅雨の季節になりました。

昔のひとは梅雨を五月雨と呼びました。

今回は季節柄の句を選びました。

蕪村の句は絵画になるといいますが、

これも水墨画になって頭に浮かびます。

五月雨の降る大きな川は増水している。

その川を前に小さな家二軒がひっそりと

立っている。

これまで何度か洪水の憂き目を見ている

家です。

しかし、大自然の前ではどうすることもできず、

ただただ無事に済むことだけを願っている。

心が温かくなるのは、家二軒という所です。

一軒では寂しすぎる。

二軒が肩を寄せ合って暮らしている。

「水があふれんといいがな」という会話まで

聞こえるようです。

そこに蕪村の心の温かさがにじんでいる。

さみだれと大河の対比。

大河と家二軒の対比。

普段の大河は洋洋と水をたたえる。

五月雨が降り水かさが増すと脅威に変る。

五月雨の音とそれをかき消すような大河の

音が聞こえるようです。

大河は常に変化する大自然。

家二軒はそれと向き合っている人々の象徴。

大きなものと小さいものが対比され、

その間の係わり合いを静かに見つめている。

蕪村の句に画家の眼を感じるのはそういう所です。

五月雨という雨粒の小から、大河の大に視点が移り、

大河の大から、家二軒という小に、また視点が移る。

ミクロからマクロへ、マクロからミクロへ変幻自在に

視点を変えることができるのが、万物斉同の視点です。

ミクロとマクロが相繋がって大自然が生み出され、

その恩恵の中で人間が助け合いながら生を営んでいる。

そんな哲学を蕪村の句に感じることができます。

 

有無相生

 

 

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