老子小話 VOL 1065 (2021.04.10配信)

<わたし>を気づかう声、

<わたし>に思いをはせるまなざし。

それにふれることで、

わたしは<わたし>でいられる。        

 (鷲田清一、「大事なものは見えにくい」)

 

今回は、哲学者鷲田清一さんの言葉です。

「大事なものは見えにくい」という、老子の

教えそのものような書名の本を読んでいて、

いいなあと思った箇所にでてきた言葉です。

子供が母親に本を読んでもらうとき、注意が

他のものに向かっており、話が耳に入って

いなくても、もう一回読んでとおねだりする。

就寝前に物語を聞くときも、ほぼ眠っている

のに何回もその続きを求める。

どうしてなのかを鷲田さんは考える。

子供にとって聞きたいのは話の内容ではなく、

自分が大切にされていることを感じる声

そのものだという。

そういう声を聞くとき、わたしという存在

を実感できる。それを括弧づきの<わたし>と

呼んでいる。

これは子供だけでなく大人にもあてはまる。

心に届く言葉は、不特定のひとに向けられた

言葉ではなく、<わたし>のみに向けられた

言葉となります。

そういう意味では、歎異抄の、

「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」

は、悪人しての<わたし>を受け入れてくれる

暖かい言葉になります。

子供の心も大人の心も、大きな違いはないことを

教える鷲田さんの言葉でした。

 

有無相生

 

 

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