◆老子小話 VOL
1065 (2021.04.10配信)
<わたし>を気づかう声、
<わたし>に思いをはせるまなざし。
それにふれることで、
わたしは<わたし>でいられる。
(鷲田清一、「大事なものは見えにくい」)
今回は、哲学者鷲田清一さんの言葉です。
「大事なものは見えにくい」という、老子の
教えそのものような書名の本を読んでいて、
いいなあと思った箇所にでてきた言葉です。
子供が母親に本を読んでもらうとき、注意が
他のものに向かっており、話が耳に入って
いなくても、もう一回読んでとおねだりする。
就寝前に物語を聞くときも、ほぼ眠っている
のに何回もその続きを求める。
どうしてなのかを鷲田さんは考える。
子供にとって聞きたいのは話の内容ではなく、
自分が大切にされていることを感じる声
そのものだという。
そういう声を聞くとき、わたしという存在
を実感できる。それを括弧づきの<わたし>と
呼んでいる。
これは子供だけでなく大人にもあてはまる。
心に届く言葉は、不特定のひとに向けられた
言葉ではなく、<わたし>のみに向けられた
言葉となります。
そういう意味では、歎異抄の、
「善人なおもって往生を遂ぐ いわんや悪人をや」
は、悪人しての<わたし>を受け入れてくれる
暖かい言葉になります。
子供の心も大人の心も、大きな違いはないことを
教える鷲田さんの言葉でした。
有無相生