老子小話 VOL 1041 (2020.10.24配信)

徳者才之主、才者徳之奴。

有才無徳、如家無主而奴用事矣。

(菜根譚)

 

徳は才の主にして、才は徳の奴なり。

才有りて徳無きは、家に主無くして、

奴の事を用うるが如し。

 

久し振りの菜根譚です。

米国では大統領選挙が近づき、テレビ討論会で

トランプ氏とバイデン氏が非難の応酬を続けています。

一方日本では菅首相が自著「政治家の覚悟」の改訂版

で、「政府があらゆる記録を克明に残すのは当然」が

書かれた章を削除するという自己否定を行なっています。

これら二つの事象は、政治家の徳について考えさせる

事象です。

ここで出てくるのがやはり中国の知恵です。

「人格は才能の主人で、才能は人格の召使である。

才能があっても人格がなければ、家に主人がいなくて

召使が勝って気ままに仕切るようなものである。」

政治家には、理念に基づき迅速に行動する才能が

求められます。

当然ながら、どの方も理念の是非を問わなければ、

この才能はあるようです。

しかし人格という側面では少々疑いを伴います。

政治家の基本は、言葉に責任を持つということです。

更にその言葉には、人間としての魅力が溢れている

ことが必要です。

菅さんの場合なら、都合が悪くなったら自分の言葉を

なかったものとして開き直っている。

才能の上に立つものが消えている。

文書改ざんという悪しき前例主義を改めるという理念

すら自己否定する。

これでは才能にも傷をつけることになる。

米国の場合は、現職のトランプさんは人格よりも才能

を買われ大統領になりましたが、プレゼンスだけが

目立ち、実績らしい実績はない。

バイデンさんも、相手の攻撃に終始し、自分の政策が

十分アピールできなかった。

投票する有権者が頼りにするのは、政治家の人間性、

いわば徳から出てくる言葉の重みです。

ツイッターから出てくる気まま言葉ではありません。

政治家がその言葉の重みを失ったとき、政治生命は

失われます。

今回の言葉をそういう危機に曝された政治家に捧げます。

 

有無相生

 

 

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