◆老子小話 VOL
1029 (2020.08.01配信)
死んで生きなければならぬということ、
業に繋がれていながらこれを離れること、
ここに人間の運命の不可思議がある。
(鈴木大拙、「仏教の大意」)
2020年は鈴木大拙生誕150周年です。
この年に新型コロナ感染に見舞われて、
人間の運命というものをあらためて
考えさせられました。
今回の言葉は、昭和天皇皇后に講義された
内容をまとめた「仏教の大意」(角川ソフィア文庫)
50頁に書かれています。
人間は業そのもので、業に繋がれている自覚を
もっているため、苦しみが生まれる。
業というのは、善悪の価値に対する自覚に基づく
行動で、善い行動も悪い行動も含みます。
人間は生まれながら苦しむようにできていて、
生きている事が苦しみとするのが仏教の教えです。
苦しみは、善いと悪いとに価値を二分するところ
から生まれます。
この苦しみから逃げることは死を意味します。
善悪という差別の世界に生きながら、善悪という
相対的な価値を超えた視座を持つところに、
人間の不可思議さがあるといいます。
生きつつも、死に向かい歩みを進める自分を
みつめる自分がいるという不思議な感覚。
ふたつの自分はひとつの自分の中に共生する。
そのどちらもが自分を支えてくれる。
コロナの問題というのも、悪と考えると有事
はいつまでもなくならず、コロナを社会の
仕組みを変革する善と考えると、withコロナ
社会も平時として捉える事ができます。
コロナの恐怖を感じながら、出来うる限り
生き残る手立てを粛々と実践していく。
これがまさに、この時代を「死んで生きる」
ことなのかもしれません。
有無相生